「働き方」という社会の鏡 <息子と娘への公開書簡 No.04>

2020年あけて、今年はグレートコンジャンクションの年だわ…と思ってたら、あっという間にコロナ禍に世界中がおおわれてしまった。2020東京オリンピックも延期が決定し、さながら大友克洋の『AKIRA』が現実味を帯びてきました。

AKIRAといえば北米に熱狂的なファンを持つことで有名で、カニエウエストも大好きよな)

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AKIRA

ちなみに「グレートコンジャンクション」というのは、西洋占星術での「20年に一度木星土星が同じ位置で重なりあうこと(今回は水瓶座の位置で)」を指すのですが、2020年はこれに冥王星も加わってトリプルコンジャンクションとも。特に、今回はエレメントの交代(土から風)イベントも重なって、まあ一言で言うと「変化の年」ではあるらしいのですよね。

あ、わたくし怪しいものではございません。。

ananweb.jp

まあ占星術の話は耳半分に置いておいても、気候変動やアフリカでのバッタの大発生など、「疫病と飢饉」という意味で聖書における黙示録感が溢れてきて、なんというか現代社会そのものにおける警鐘なのではないかとアポカリプス論を展開する人の気持ちがわからないでもない。

 

コロナ禍における「移動の自由」の制限

 さて突然ですが、ナチスヒトラーアウシュビッツ収容所を生み、東西ドイツの統一を経て欧州の要となったドイツ首相の発言を見てみましょう。

 

www.mikako-deutschservice.com

 

旅行および移動の自由が苦労して勝ち取った権利であるという私のようなものにとっては、このような制限は絶対的に必要な場合のみ正当化されるものです。そうしたことは民主主義社会において決して軽々しく、一時的であっても決められるべきではありません。しかし、それは今、命を救うために不可欠なのです。

米国のトランプ大統領も、英国のジョンソン首相も発言で踏み込んでいない「移動の自由」に言及しています。プライバシーと移動の自由に対する確固とした信念を持っているのは、彼女が分裂時代の東ドイツに生まれ35歳で壁の崩壊を体験したことによって醸成されたのかもしれません。言い添えておくならば、移民についての立場はメルケル女史のこの信念をもってしても解決が難しい、一筋縄ではいかない重い課題であるようではありますが…。

つまり何が言いたいかというと、「移動の自由」というのは人類が長年かけて手に入れた自由であり権利なのだということです。

 

2010年代後半で大きく変わりはじめた働き方

先日のブログでもつい使ってしまった大卒求人倍率。(使い勝手いいんですわこれが)

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大卒求人倍率

 就職氷河期世代の人と、リーマンショック世代の人は見るだけで眼球が痛む図ですね。

2020卒も最高の売り手市場だったな…と思ってたらコロナ禍で内定取り消し相次いでるらしいですから、新卒採用と雇用の調整弁を一緒に考えている企業の罪深さよ(嘆息)。

まあそれは置いておくとして、注目すべきは2015年以降の売り手市場(1.6倍越え)の状況です。このタイミングで就活や転職活動にあたった人はかならずといっていいほど「ワークライフバランス」「働き方改革」「女性活躍」などの働きやすさを意味するキーワードに出くわし、それを企業選びの指標の一つに据えたことと思います。実態はともあれ、企業もこぞってこういった軸で自社の風土を図るようになった時代です。

 

2015年の資生堂ショック、2019年のカネカ炎上というように、企業側の用意した制度では汲み取れないような実態をともなった議論が巻き起こったり、ジェンダーへの配慮をすることによって採用力強化の効果を狙うのが当たり前になりつつあるというように、それだけ新卒・転職業界が活況だった証にもなっていました。

president.jp

business.nikkei.com

www.businessinsider.jp

 

一方で、身近なところでいうと、リモートワークもテレカンファンレンスも外資に比べてだいぶ導入が遅れてるよなというのが私の正直な気持ちでした。

まあ成果主義裁量労働を求められるほどには、職務定義(いわゆるジョブディスクリプション)があいまいすぎ、雇用慣習と労働法規の関係で「企業側の都合で解雇しづらい」という日本の固有性、あとは終身雇用モデルがまだ瀕死ではあるものの息をしており、ジェネラリスト(総合職)向きの業務が多いという事情はあるので多くは求められませんが。。

 

とはいえ、こういった現状に風穴を開けつつあるのがコロナ禍の影響です。

 

コロナが流行期を迎える前の段階では「満員電車が一番のリスクファクターでしょ」と予想されてましたが、蓋を開けたら実際は満員電車でのクラスタ感染が発見されず。とはいえさすが忖度のかたまり日本社会、きっちり時差通勤やリモートワークをお上が進めて、大多数の企業がそれに従っています。

「顔合わせない会議なんて」と偉い人ほど嫌厭されていたビデオカンファレンスのニーズが高まり、zoom社は株価上昇と創業者の高笑いが止まりません。

www.cnbc.com

 

就職氷河期世代の夫育休第一世代の妻のケース 

そこでひらりと我が家の状況に立ち戻ってみます。

 

:独身時代に転勤経験あり、結婚を機に東京勤務に

:独身時代に「ぼくの会社で転勤するのは5%以下」と言ってたのに、結婚したら転勤に。仕方ないので夫が単身赴任。

・はじめは「3年ぐらい??」と見込んでいた期間がのびにのびて最終的には4年9か月。

・単身赴任が切れる頃を見計らって出産したが、どうも帰ってこないのと都内の保活がマジ激戦なのでが仕事復帰。しばらく妻のワンオペでしのいだものの疲弊、当時の記憶なし。

・結局が帰任した時には息子が1歳9か月。

 

というわけで、夫の転勤先でのPJ自体は成功したのが救い。

それ以外は結構つらみが深く、いやあ単身赴任あたりまえで妻が専業主婦だからこそ仕事に邁進できた昭和のお父さんってすげえなあ(褒めてない)というぐらいしか感想が湧かない。

その場にいかなくても仕事で貢献できるなら、デジタルだってなんだっていいじゃないよ!という魂レベルの叫びは常に孕んでます。えへん。

 

だから、コロナ禍の影響で世界中が阿鼻叫喚の状況下で、唯一私大手を振って受け入れたい変化っていうのは、リモートワーク・ビデオカンファレンスの一般化だったりします。

 

家族大事!

移動の自由も大事!

 

今日はこれで以上です。ちゅかれた。

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到来した「共働きがデフォルト世代」のリアル 素人女性誌ウォッチャーによる2020年ワーキングマザー誌短評

Veryのカバーモデルが、タキマキ (https://www.instagram.com/makikotakizawa/ )

さんから変わりました!

実際に、女優の井川遥(2007〜2016)→ 読者モデルの滝澤眞紀子(2016〜2019)→専業モデルの矢野未希子が2020年に就任。

ここのところ界隈で話題になっていたのは表紙をかざるカバーモデルではなく、Very専属モデルになった申真衣さん。 

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申 真衣さん、またの名をアストリッド

どうでしょう、なんというパーフェクトさ!!

ビジュアル偏差値と実際の偏差値がそれぞれ76ぐらいです。東大経済もただでさえすごいけど、特に11年目でGSのマネージングディレクターの経歴は生半可な献身では勝ち取れません。こんな人日本にいるのか。ベンチャーの社長の方がまだ楽なのではないか。

いるけど見たことなかった、しかもビジネス誌じゃなくて女性誌に出てくるの??そういう衝撃です。「Crazy Rich Asians」のアストリッドかよ!という。

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ジェンマ チャン演じるアストリッド

wired.jp

 一通り興奮してしまいましたが、こういうパーフェクトな女性を推してきた、2020年のVery編集部の思惑というものに下記から触れていこうと思います。

 

タキマキ世代つまりロスジェネ世代を見送った編集部 

 光文社のドル箱(広告という意味で)であるVeryは、95年の創刊当時からターゲットを「既婚女性」としています。ここは三浦りさ子がカバーモデルとつとめた「シロガネーゼ」全盛期から揺るがないのですが、2007年から今尾朝子編集長体制に変わり、2015年の20周年には働くママを支えるパパに向けた広告を出して話題になったりしました。

 

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妻たちの逆襲 広告

もともと社会問題や福祉などの取り上げ方にも力を入れている雑誌で、ファッションから子育てまで幅広くカバーしているライフスタイル寄りの誌面ではあったのです。

 (今尾編集長ご自身も、2014年に育休復帰しワーキングマザーとなりました)

 

ここで2016年からカバーモデルを務めた滝澤眞紀子さんのプロフィールをみてみます。

  • おそらく2001年新卒
  • 大学4年生で現在の配偶者と結婚  (「社会に出た生意気な女性になって欲しくなかった」とする夫の意向とされる)
  • 3人のお子さんあり(全員20代で産んでいる)
  • 31歳でVery編集部にスカウトされる(それまでの約10年間は専業主婦)
  • 夫は11歳年上のアパレル長者(SNSにも誌面にもよく登場する)
  • 「お母さん業が大好き」とご本人の談

ここすごく大切なんですけど、タキマキさんはおそらく2001年新卒で、いわゆる「就職氷河期世代」であることです。求人倍率貼っておきます。

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う!!目が痛い!赤字が目にしみる!!

2000年と2001年の突出した酷さ。どんなに優秀でも採用されなかったという伝説の時代。

私の肌感でも、この就職氷河期世代の人たちの有職率って高くないです。特に女性は、ほとんどが専業主婦なんですよね。知る限り。働けてる人は本当にごくごく一部。日本は新卒社会なので、ここでキャリアの最初の一歩を踏まないとなかなか難しい、それは就職氷河期の優秀な先輩方の悔しさや嘆きの声からも実感しています。

そういう背景を踏まえてみると、ロスジェネ世代の勝ち組像、つまり憧れと共感でもって見つめられるのはタキマキさんのような専業主婦からのシンデレラストーリーなんだと思うのです。

そして、専業主婦を選ばざるをえなかったロスジェネ世代とともに、Very編集部が見送ったものを次で想像していきます。


 Veryを通り過ぎた「昭和のお父さん」世代

専業主婦をメインターゲットとしていながらも、編集部は抜かりなく「イケダン」とか切り口を変えながらパパの育児家事参加率の低さを問題提起してました。

が、それはそれで今ある読者層やタイアップ広告を失うわけにはいかないので、あまり過激なことは言えない、そのギリギリを探ってきたのだと思います。

そこで今回のパーフェクト申真衣さんの家庭を、彼女自身のインタビューから探ってみました。

  • おそらく2007年新卒
  • 結婚5年目、お子さん1人女の子
  • Veryデビューのきっかけは元部下の義姉が編集部にいたこと
  • 家庭では食器洗い担当の夫(食洗機がないと生きていけない)
  • フェミニスト宣言をしている
  • 保育園の送りは夫と2人
  • 学生時代に頑張ったことを「勉強」といえる強さ

 注目すべきは夫です。まだまだ30代ゆとり世代には劣るものの、かなり育児と家事の関与度が高い。タキマキさんの夫が「金は僕が運ぶから、家の中は君に任せる」という昭和のお父さんスタイルであったのとは対照的ですね。

そうです、つまり今回カバーモデルが変わったことに伴い、大きくVery編集部が変えてきたのは子の有無でも職の有無でもなく、「ターゲットの配偶者ペルソナ」だとおもうのです。家事育児に関わらない夫を完全に外してきたのではないかと。

 

またもうひとつの要素があるとすれば、女性誌と競合するInstagramでしょう。

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「輝きたい」読者モデル予備軍にとっては、わざわざ女性誌の編集部に取り上げてもらわなくても、自分自身でセルフブランディングができて自己承認欲求を満たせる手軽なツールです。タキマキさんがカバーモデルに就任した2016年からの2年間でIGの月間アクティブユーザ数はほぼ2倍となり、全世界で10億人を超えました。誰もがSNS上で自分のアカウントを持つことができるようになった時代。

逆に言えば、SNSに露出しない人を探すのがものすごく難しくなった時代といえるのかもしれません。そこでInstagramとの差別化を図りたい、というのも編集部の狙いなのかもしれませんね。

 

ともあれこれからは、共働きがデフォルトの時代。それに沿った新しいママパパ像を見せてくれるのでしょう。あいかわらずの強さを見せるVeryの媒体資料をマイクがわりにステージに置いて、いったん去ることにします。

http://www3.kobunsha.com/ad/very/baitai/pdf/very_media2019-2020.pdf

 

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テレ東金曜深夜ドラマ「きのう何食べた?」第1シーズン完結をことほぐ

とうとう迎えました最終話!

 

ドラマ制作のうえでも、最終話はシーズン全体の完成度を決める重要な回。

早速ですが少しでも早く反響を届けたいので、手早く振り返りつつ順番に言祝いでいきます。

 

<未見の方はこちらからどうぞ>

video.tv-tokyo.co.jp

 

 1.世に初めて「異性愛以外」を問うたドラマ(娯楽)の力

 

私はこよなくマンガ芸術を偏愛する者です。

浮世絵の流れを汲みながら、独自に発展して爛熟期を迎えている日本が誇る二次元の紙の芸術を心から愛してますし、よしながふみ先生の偉大さにひれ伏す一読者でもあります。 f:id:kurihashi64:20190629014847j:plain

 

でも、だからこそ知ってるんですよね、テレビの力を。

 

テレビという媒体は、本当の意味でのマスメディアなのです。

まずもって情報を受け取る人数のボリュームが違いますし、「なんとなくみる」が成立するメディア。たいして興味がなくてもテレビをつける人は多く、同時刻に同じコンテンツを視聴することになりますので、それは新聞や紙媒体やWeb媒体ではなし得ないことなのです。地味ですがここ重要。

 

何が言いたいかといいますと、つまり「このドラマを見て救われる人、これから未来への意思決定に影響を及ぼされる人」はとても多いでしょう、ということです。

 

 

日本はとくに風土上/宗教上の戒律の縛りを受けないことから、同性愛には比較的寛容な歴史をもってきました。

しかしながら、寛容というのは無関心と紙一重

異性愛以外の世界を自分の同一線上で見られず、「存在を無視する」「馬鹿にして遠ざける」「別世界だと線を引く」ことでやり過ごしている人はごまんといます。

そういう人たちには、マンガの力ではほとんどリーチできません。

 

でもテレビではそれができる。

 

つまり、このドラマを視聴した人は、自分の家族や友人や知人にいるかもしれない、(同性愛者含む)性自認が一致していない人含む)を遠ざけず、身近に引き寄せて考えることができるようになるのかもしれない。

 

そういう偉業をやってのけた、日本で初めての地上波ドラマが「きのう何食べた?」なのかもしれません。

特に、自分の性自認の相違や異性愛者ではないことに悩んでいる子どもでも大人でもない微妙な年齢の子達に、ものすごく良い影響を与えたことは間違いないと思うんですよ。

 

 

2.「おっさんずラブ」が踏み分けられなかった未踏の大地

 

ちなみに私は、「おっさんずラブ」が放映された2018年は、BL(ボーイズラブ)ドラマ元年だったと考えています。

 

 <弊ブログ記事はこちら↓>

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同性愛をうまくファンタジーに昇華するという手腕では素晴らしかったドラマだと思います。

しかしながら作品自体が浮世離れした世界観だったので、 ドラマとして純粋に楽しめるものの、現実感が伴うかというとそうではない構造のドラマでした。

 

一方で「きのう何食べた?」は原作世界を踏襲してた制作側の狙いで、きちんと現実感が伴う作りにしてきました。

シロさんやケンジの食卓を通じて、彼らと我々視聴者は地続きの世界にいる!と感じさせてくれたのですから、それはもう大成功だったと思います。

おっさんずラブ」で積み残した現実との向き合い方という課題を、きちんと消化してきたという意味でもほんっとうに素晴らしい。

 

3.役者の力、制作の力、実写の力。

 

最終回のシーンで一番良かったの、このショットだと思うんですよ。

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その前のバックハグも多幸感溢れてて良かったですけど、このシーンは愛情と営みの尊さと少しのノスタルジー、微量のお色気が、ぜーーーーんぶケンジの背中で語られてました。

 

第1話から「直接触れあうラブシーンが少ないな」と思ってはいたのですが、最終回こういう形で成就しようとは思わなんだ。

 

視聴者を信頼して預けにきてくれる、成熟した大人のドラマですね。

 

出会えて良かったです。そして

2ndシーズン、待ってます!!

 

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<過去記事はこちら>

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仕事と罪悪感と母さんと <息子と娘への公開書簡No.03>

元号「令和」の時代が始まった春、保育園への送り迎え生活が始まりました。

はいはいする赤ちゃんたち、うららかな陽気、昼食のために引いているお出汁の匂い、おなじみの先生方や園児の声。

なにもかも懐かしく、また新鮮です。

 

そんな勝手知ったる園生活のはずなのに何だろう?何かが胸にひっかかるんです。

息子が6年間通った保育園だから間取りや構造はよく知ってるんだけど、1歳児クラスの教室の前を通るたびに、何だかドキッとするのですよ。

何だろう?とずっと探っていたのですが、このたびやっと原因がわかりました。

 

罪悪感」です。

 

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1歳時クラスに、息子がいたとき。

 

当時は夫が単身赴任で、復帰1年目は平日ワンオペ育児に慣れるのに精一杯。

復帰2年目はスタッフ職に異動になって、ちょうど夫も帰任して「やっと仕事できる!」と意気込んだ気持ちで臨んでいた頃でした。

 

時短勤務自体は1時間短縮にしていたものの、実際はお迎えを週4日以上お任せして夜は21時過ぎまで残業する体制。

当時はワーキングマザーは部内で2人目。働く母として頑張らなければという勝手な使命感も手伝って、夫に頼み込み、義実家と実家には「最初の半年だけサポートお願いします」という形をとっていました。

しかしながら、半年過ぎても帰りは早くならず。なんなら休日出勤(…無給)して平日の遅れの帳尻を合わせてた。

だからたまに1歳時クラスの部屋に行くたびに、強烈な罪悪感を、自動的に抱いてしまったんです。「ごめんね、ママ一番最後のお迎えで。ごめんね泣いてるあなたを放っておいて。ごめんね、いつもお迎えに来られなくて。ごめんね、ごめんね。」

 

 

そんな状態を続けて半年、普段あまり意見しない夫が言いました。

あなたの会社は、妻であるあなたを通じて、夫である僕の時間を奪ってるんだけど、それ分かってる?

 

ガツンと殴られたような衝撃でした。

もちろん義実家だけでなく夫にも頼ってたし迷惑かけていた自覚はあったけど、まさか当時は「夫の貴重な時間を奪ってる」という現実に、言われるまで気付かなかった。本当に。

 

 あまりにも自分と自分の仕事でいっぱいいっぱいで、視野が狭くなってたし正直直視するほどの強さがなくて目を背けてたこと。余裕が無かったことに愕然としました。

 

当時の上司は「時短の女ではなく、フルの男が欲しかった」というスタンスで、自分はやってきたしあなたがたも当然できるよね?仕事が溢れたら残業でもなんでもして自分の分を終わらせてほしい、という考え方の人でした(直接その考え方を上司の口から聞いたことはないけれど部下として圧を感じた)。

もちろん私が「頑張ります!」と張り切っていたからこそ任せていたのでしょうが、当時の私は、上司の期待を裏切ったり、失望させることが心の底から怖かった。

 

その上司が、何度目かの面談の場で「本当に大丈夫か(やれるんだろうな?俺は聞いたからな)」といつも通り予防線を張ってきました。

それまではずっと「大丈夫です、やらせてください」と応えてきたけれど、そのときやっと、夫のその言葉がきっかけで喉から絞り出せました。

 

 「無理です。家族も無理だといってます。」と。

 

後から振り返って思うのは、渦中にいるときは上司や同僚や仕事を怨むというより「こういうものなのだと飲み込むこと」があるべき姿なのだと思って我慢していたことです。

  

おととい締め切りの仕事をその日の定時終わりからしかやっつけられない現状、新入りだからと引き受けたり押し付けられた雑事、自分の能力や経験不足に起因する仕事の遅さ、旧弊的な価値観の上司、「自分の方が大変だ」とアピる同僚。

(なぜか男性社員は頼まれない)来客へのお茶出し対応が差し込まれて仕事を中断すること。

 

つまるところ、残業は能力不足を補うために自主的に行うものではなく、「上司が仕事のコントロールをした上で超過残業を認める」という原理原則がまったく自分の腑に落ちてなかったんですよね。

むしろ「残業をするのはひとえに自分の能力不足のせいだから、会社にそのぶんのお給料もらうのは恥ずかしいこと。だから実際の残業労働時間は過小申告すべき」とさえ思っていたんです。 

 

途方もなくバカでした。

 

そのバカな自分の行いのせいで失ったのは、2歳の誕生日前後の10ヶ月間の息子との時間です。

もう泣いても叫んでも、取り戻せません。

時間を遡れないかぎり、あの頃の息子には二度と会えない。

 

喃語で話したり、自分の足で好きな方向に歩いて探索する姿、駆け寄って抱っことねだる姿。

今ももちろん息子は可愛いけれど、だけど叶うならあの頃の息子と存分に遊んで手を引いて歩って抱っこしてお風呂に入って一緒に寝てあげたかった。毎日。

 

たった10ヶ月間です。たった10ヶ月の自分の未熟さゆえの行いの罪悪感と後悔を、私は一生持ち続けて生きていきます。自分がしたことですもの。

10ヶ月間の仕事で得たものや恵みも多くありますし、今なら当時の上司の戸惑いや私に対しての配慮を理解できるような気もします。

 

でも願わくば、こういう後悔をもたずに済む人が増えますように。

祈りながら終わりにします。

 

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息子と娘への公開書簡01

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息子と娘への公開書簡02

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テレ東金曜深夜ドラマ「きのう何食べた?」 第8話をことほぐ

Game of Thrones (GOT)が完結しちゃいましたね…

 

私事で思うところがあり、しばらくの間更新をお休みしてましたが、この「きのう何食べた?」8回を視聴してやっと、やっと、自分の中で区切りがついたことがあり、久しぶりにその個人的な感傷も含めてレビューを捧げようと思います。

 

<演技の力、俳優の力>

私はマンガ芸術を愛する人間なので、時間の制限上や分かりやすさのために登場人物の描写を画一的なものに収めようとする日本のドラマが、実はとっっても苦手です...。

迷ったり、失敗したり、後悔したり、葛藤したり、前後の行動が矛盾していたりするリアルな人間の姿を、大人向けのドラマではほとんど描かないように思うからです。

水戸黄門とか某半沢とか失敗しない人とかのドラマを思い浮かべると伝わりやすいかと。孤独のグルメもいってしまえばそうなのですが、「パターンとして完成されていれば、人物描写は後回し」という主義が嫌いなのかもしれません。。

 

一方で、私がGame of Thronesを愛する理由は、主人公たちの失敗やそれに伴う選択をモウヤメテーというまで描き続けること。そして脇役の面白みです。それぞれの人生と信念をセリフで多くを説明せず、行動や緻密な表情と演技で見せてくる。そういうドラマのつくりが好きなのです。

 

何が言いたいのかというと、今回のテツさんとヨシくんは素晴らしかった!!ということ。

 

この回に登場するテツさんとヨシくんのカップルは、原作では小日向・ジルベールカップルより早く登場しています。

原作通りの順番にエピソードを消化しないということは、何か制作側の思惑やこだわりがあるんだろうなと思って見始めました。

当然このシーンは頭に浮かんでいます↓↓

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ここ!この台詞。マンガではたった1コマです。

ドラマでは中盤にたっぷり尺を使って、ほとんどほかにカメラを移さず、優しそうなテツさんに語らせます。

 

「ぼく...ぼくが、、、あの。(あごを動かしながら)歯を食いしばって貯めた。金を。

 すいません(胸のあたりをさする)。。。いわ、田舎の、両親に。。。。

びた一文渡したくないです」

 

視線を落として、不安のために絶えず体のどこかを揺らしながら絞り出すように放ったこのセリフの重さ。

このシーンを見ただけで、今までテツさんが負った理不尽や人生の苦しみ、敬わなければならない親から受けたであろう仕打ち。一緒には暮らせないけれど一生をともにできるパートナーと出会えても打ち消せない、許せない、そういうものがこの59歳の男性の人生に静かに横たわってるのだと、ブワッーと感情の波が頭に流れ込んできます。

そうだった実写にはこういう魔法の力があるのだと、久しぶりに思い起こさせてもらうような体験でした。

 

特に、家族との関係に苦しんでる人には、このシーンほんとに沁みたんではないでしょうか。少なくとも私はこのシーンを思い出すだけで、ダメです。

自分のためではない涙ですが、目から汁がとまらなくなる。

 

 

<日常と人生が交互に訪れる構成>

 

シロさんが作る毎日のごはんが日常だとすると、今回のテツさんヨシくんがもたらしたのは人生の選択です。

このドラマとマンガのすごいところは、日常の連続性と非現実性をごはんを介してうまくまとめたところ、それに尽きると思います。

人生ドラマだけでは重たいけれど、かといってご飯の繰り返しだけでは軽すぎる。そういうバランスが交錯してひとつのエピソードに結実する、その妙味なのではないかと。

特に今回はそういう作品の構造を最大限に利用した、今までで一番心に残る回でした。俳優さんも脚本も素晴らしかった。

 

役回り上の受けの演技に徹した内野さんが達者で、コメディすぎず真面目すぎずこちらもすばらしかったです。

 ↓このツイートに全くの同意↓

 

https://twitter.com/mthh_u/status/1131951648803151878

 

来週は放送お休みとのこと。

心にぽっかり空いた穴は、イベント開催のお知らせで塞がれました。

渋谷いきますから!

art.parco.jp

 

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<ブログの過去記事はこちら>

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目的を達成するためのケンカを恐れないこと <息子と娘への公開書簡No.02>

実は第2子の産休育休中にずーっと考えていたテーマを、今の段階でできる限りの力を振り絞ってまとめてみようという試みです。

いつか未来の私や息子娘に読んでもらえるよう、私信のようなスタイルでつらつら書き連ねますので、長文や主張が苦手な方はすみやかに回れ右!してください。

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一旦今の時点で、間違ってても恥ずかしくてもいいから自分の考えを吐き出してみようと考えたきっかけは、東大入学式の祝辞です。

 

そもそもスピーチとして有名なものはほとんど「卒業式」でされたものなのですよね。

Stay hungry, Stay foolish. が代表的。

卒業式の祝辞というのは一般的に、未来ある若人へ希望のメッセージを託すもの。

www.youtube.com

 今回話題になった上野千鶴子女史の祝辞は、入学式でなされたものなのです。

 

まずは全文をどうぞ↓

www.u-tokyo.ac.jp

 

全文を読むとよく分かるのですが、これは論争のプロである女史が仕掛けた最高のケンカです。

お祝いのメッセージはひとまず横に置いて、つい先月まで高校生だったボーイズ&ガールズ、そして受験をサポートしてやっと「東大」というブランドを手にして得意満面のイキった保護者、及びその場にいない世の中の人々に、堂々と問題提起という宣戦布告をしたわけです。

 

・せっかく東大入ったのに自分に関係ないこと言われても困る

・なんで罪悪感を強制されないといけないのか

・お祝いの場なのにお祝いメッセージじゃないのはイカガナモノカ

・東大に入るための努力がどんなものか分かってる?

・自分の知ってる東大はそうじゃない

・東大出てるけど事実と異なる

・入学不正が行われたのは東大じゃない

社会学の名誉教授なのに統計が分かってない

・一部のデータを切り取って見せてるだけ

・主張が破綻してる。以前の上野千鶴子氏の発言と噛みあわない

・東大女子がモテない?そんなことない。実例がある

・女性だって優遇されてるじゃん

 

等々、Webの評判を拾う限りこんなところですね。

東大だけでなく東大の外でも、ものすごい反響です。

まあでもですね、こうしてヴァイラルに議論が盛り上がり波及することで彼女の主張は達成されているという見方もできます。

 

 

特に感銘を受けた部分を抜粋しておきます。

 

<一部抜粋>

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 

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いわゆる平等と公正ってやつ

まさにこの図でいうと、左端の青いシャツの人物が「東大」。

 

背丈の低い、つまり自分の努力ではなんともしがたい現状の隣人がいる。

彼は試合が見れないようだ。そんな時自分ならどうする?

そこに存在しているのに、気づかないふりをし続けるのか??

 

上野女史が祝辞の場を利用して放ちたいメッセージは、多分こうです。

「青いシャツよ、お前の足元のボックスに気づけ。そして、さ上げされてる事実を見つめよ

青いシャツ、つまり「東大」と東大を象徴としたインテリ層全体に対しての言葉でしょう。

 

注意したいのは上野女史は青いシャツに「履いてる下駄(乗っているボックス)から今すぐ降りろ」とまでは踏み込んでいない。そこはお祝いだから配慮したんだと思います笑。

普段なら「下駄を脱がないクソが日本を滅ぼす。みんなで貧しくなろう」とか「下駄が透明だから見えないとか言ってるやつバカなの?ねえバカなの?」とか言い放ってるでしょうね。そういうやり方を辞さない人ですから…。

 

上野女史のやり方は、たしかに強引です。

でも声をあげること、人に耳を傾けてもらうこと、聞いてもらいたい人にあった話題を選んで差し出す技術。真の狙いを達成するためにこれほど完成度の高い祝辞があるでしょうか?

少なくともその場で聞いていた入学生たちは、どんなに不愉快な思いをしたとしても、この後の人生で上野女史の言ったことを綺麗さっぱり忘れることはできないと思います。

自分のペースで読むより、自分が胸を高鳴らせたシチュエーションで耳と目で取り込んだ情報をいうのはぎっちりと記憶に根をおろしますから。

ここまでくると、ある種の呪いと祝福ですね。

 

これを「ノブレスオブリージュ」というくくりで整理しようという人もたくさん見かけましたが、わずかに違うと思うんですよね。産まれながらに与えられた特権階級が、自立と自主と奉仕の精神を奨励されるという話とはではないと判断しています。

 

まあそもそも私たちは「教壇に登っている人の話を聞くことは大切」「話の内容は首尾一貫していて、ためになる訓話的な話である」「そしてあわよくば、自分の学習欲求を満たしたり自分の存在を肯定してくれるものであればなお良い。」という幻想を捨てるべきなのかもしれません。

先生が与えてくれるであろうありがたい話を、口を開けてパクパクしながら死んだ目で待ち受けるのはやめようぜって話です。

 

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子育てしていると、我が子にできるだけいい環境を与えたいという、エゴめいた感情が生まれます。あの子はお利口、あの子はマイペース。

翻ってうちの子はどうなんだろう?っていつも探ってしまうのが私の常です。

そんな私が親として子どもに見せたいのは、素直さでも努力でもなくて「言葉の力」を操ることなのかもしれません。

 

だいたい子どもは親のすることを注意深く見ていて、真似したりアレンジしたりして世界の輪郭を探りながら成長していきます。自分の思考を理論だてて組み立て、自分の経験の海からぴったりの表現を見つけだし、それを相手に差し出す。相手の反応や考え方を吸収しながら何百回、何千回と経験を重ねて自分を鍛えていくこと。

 

それをすることが、まずこの東大祝辞に報いることなのだと、東大出身ではない自分はつらつらと考えるわけです。

 

まだまだ答えは出てないですが、一旦の結論をメモがわりにブログに書き綴ってきたところで、ひとまず筆を置こうと思います。長々とお読みいただき、お疲れ様でした。

 

 

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上野千鶴子女子を一躍有名にした「アグネス論争」

www.itmedia.co.jp 

●東大生による集団わいせつ事件モデルにした作品、ブックトークも話題に

www.todaishimbun.org

 

●いわゆる「非エリート」出身の筆者が「エリート社会」を内側から見つめる視点

 

 ●人が何をもって「分断」と感じるのか、深い深いリアルです

anond.hatelabo.jp

 

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テレ東金曜深夜ドラマ「きのう何食べた?」 第3話をことほぐ(ネタバレあり

放送前から話題騒然だった、ジルベール登場回。

 

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ジルベール

説明しよう!

ジルベールというのは、少女漫画を読みつけない人には少しばかり難しい作品ではあるものの竹宮惠子先生による不朽の名作『風と木の詩』の主人公であーる!

 

元・婦女子の私に言わせると、少年同士の愛を扱ったということを取り除いても、作品自体のドラマ性というか演劇性が強すぎて読む人を選ぶ代わりに、強烈なそれこそトラウマ級の読後感を与える名作です。この作品に人生を変えられた人は多い。

きのう何食べた?』では、天上的美貌、もしくは美貌をかざして周囲おもに恋人を振り回す小悪魔的言動の代名詞として使われています。

<ここからはこれから放送する第4回へのネタバレ的要素が入ります>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原作では、シロさんケンジの友人として、何組かのゲイカップルが登場します。

その中でもおそらく原作者のよしながふみ先生に最も愛されているのがこの小日向×「ジルベールカップル。登場回数もエピソードも多いゆえ、ドラマのキャスティングには期待していましたが...

 発表された写真をみてびっくり!

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きのう何食べた? 第3回

 

ジルベール、ええやん?!

 

ワタル君をジルベールと崇めてるのは恋人の小日向さんだけで、実際のワタル君は汚れめのオッサンという原作設定を軽々と斜め上方向に超えてきた!

フムム、制作側はあざといですがF1層を取り込みにきましたね、そういうしたたかさ嫌いじゃない(ニヤリ...とかブツブツ言いつつ第3話を見てたらなんか違う人??磯村さんではないの???

 

そう。第3回のジルベールは「シロさんの妄想の中の姿ver」なのですわ。

・金髪

・英語で話す

・しどけないブラウスを着ている

・焦点が甘くてソフトフォーカスなお姿

・小日向さんがデレにデレてる

 

公式twitterアカウントで補足が入ってました↓

 

なーんだ!

というわけで磯村ジルベールの登場は、第4回以降となりますね。楽しみはあとに持ち越すパティーン、了解しましたあああ。

 

ジルベールトピックは一旦横に置いておいたうえで、第3話全体を見て感じたのは「脚本のうまさ」ですね。原作マンガの抜き出し方と繋げ方とその中でドラマの尺にあわせた作り方がとってもお上手です。

 

遊園地のシーン、泣きました。

ちょっとしたスロー映像とピアノのチェロの音楽効果だけでこんなに泣けるものなのでしょうか。また子役の演技がいい具合で作為がなくてそれもすばらしい。

画面の向こうの今田さん(佐藤仁美)と一緒に号泣です。それにしても佐藤仁美さんは巧い役者さんですねえ。あざとさがない。

 

あとチラチラ気になってるのは、シロさんとケンジの絆がより強固に描かれているというところでしょうか。原作では日常の一コマとしてさらっと流されたり省略された部分を丁寧に描いてくれてます。

一方で引くところはきちんと引いていて、特に実家の会話でシロさんの心中をナレーションで語らせなかったりと、うまくメリハリをつけた演出になってきましたね。よりホームドラマみが出るというか。

 

コメディ色もきちんと保持はしていて、小日向さんとシロさんがふるふるしてるシーンは声だして笑ってしまいました。うまいなあ本当!

 

というわけで第4回も楽しみに!レビューを終えます。

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