自他境界、そして子育て12 年ひと巡り/私における中年の危機(4)
突然ですが、わたし「中年の危機」、抜けたかもしれません。抜けた、というより、受け入れた、に近いです。「何者でもない(何者にもなれない)、中年期の自分」ってやつをですね。
いやー、この諦念にも近い受容の行為は、しんどかったですが、私の場合は子育てによるところも大きいと思います。ちょっと話長くなりますが、お好きな方は読んでいってください。
■「労働」の意味を考える
「働いているとなぜ本が読めなくなるのか」という、一見すると読書エッセイと見せかけた労働論の本がありまして、とても良かったです。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか/三宅香帆 | 集英社 ― SHUEISHA ―
やっぱですね、資本主義との付き合い方、折り合い方、みたいのは人間どこかで答えを出す必要がありますね。私のような頭でっかち人間だと、なおさら、です。

振り返ってみると「恋愛市場で価値がある」、「労働市場で価値がある」そういった面での他者の評価をずっと追い続けた時代が、私にとっての20代、30代でした。まあ、若いってそういうことですよね、そうしないと種の保存もヒトとして人類の発展もなされないわけですから、これはもう切り離し難い宿命なのだと思います。そういうふうにドパミンを、報酬系を動かす癖を自ら望んで身に付けてた、と思ってたのですが、これは当然、社会的要請でもありました。
氷河期世代のお尻である、2005年に社会人になった私としては、氷河期世代の少し上である、1999年卒〜2002年卒ぐらいまでの極端に新卒採用を絞った時代と近いのです。ほんとに隔世の感があります。
特に、女性は子を産んでから、正社員の雇用(正規雇用)という面で立場が弱くなります。
有名な「M字カーブ」ってやつですね。女性の働き方の変化を表現した言葉です。人口に占める正社員など正規雇用の割合である正規雇用比率を年齢別にグラフで表すと、20歳代後半にピークを迎えます。その後は、右肩下がりです。
図でいうところの紫🟣部分がそれを示しています。

第2節 女性の労働力率(M字カーブ)の形状の背景 | 内閣府男女共同参画局
このM字カーブは、働く女性が増えたことで、解消されつつある、と、されています。特に2010年代に保育施設の増加や企業の両立支援策が進んだことが要因。
この時代にまたがって2人の子育てしてますが、まあ10年前と今ではまったく違う世界線です。上の子の時より、当然、下の子を育ててる方が子育て支援が手厚い。
そのおかげもあって、日本全体の労働力人口が過去最高を更新中ですよ。2025年えらいこっちゃ。
■自他境界を自分で決めてみる
わたしはどちらかといえばマーケティング畑の人間なので、ついついその思考様式を自分の人生に当てはめてしまうのですよね、よきにつけ悪きにつけ。で、ついつい、自分の、「ミッション・ビジョン・バリュー」を考えてしまうのです。
ENTPですのでもう逃げられません、自分という檻からは。
ほんでまあ、「労働」とか「稼得」とか「親としての期待役割」とか「国民の三大義務ってたしか教育勤労納税だったよな次世代育成は入らないの?」等々、色々こねくり回し、自他境界というものをいったん自分なりに引いてみます。ここまでは自分、ここから先は自分以外。所属組織はもちろん、家族や親族を考えるときにもこの自他境界のフレームワークを使います。そうすると、自分探しみたいなことになるのですが、それは私の個人的な深淵ですのでここでくわしく語ることはしません。端折ります。
結果、「生きてるだけで価値はある」で、良いのでは?と思うようになりました。だって子供等にまずそう思って欲しいですもん。背中少しでも見せたいじゃないですか、親として。

https://www.persol-group.co.jp/news/20170322_789/
なんでね、まっとうに働いて、とりあえず笑っていられたらそれで良いのだし、必要条件、十分条件なのです。パーソルの2017年のアド「はたらいて、笑おう」がぴったり、しっくり自分の胸にはまります。
■「ママ耳遠いんじゃない?お医者さん行こう?」事件
はいこれは息子の発言ですね。
息子は中学に入り、親との関わりより、お友達との生活が第一です。家庭はあくまでOFFの場所。勉強はして欲しいですけど、まあ強制するにも限界があります。14歳の反抗期を迎えていますので、「ママが更年期でオレが思春期だからホルモンバランスでおあいこだ」とか平気でいうわけですよ。

でそんな口の減らない息子が、「ママって最近、オレの言うことぜんぜん聞こえてないよね?耳鼻科行ったら?」と、皮肉半分で言うわけです。
まあ、耳が遠くなってる可能性は否定しません。40歳代のマダムだもの。でもひとつ気づいたんです、息子はどんな角度やどんな声の小ささで言っても、同じ部屋にいる限りは母親が自分の発言を必ず拾って聞いてくれるという経験則があるんですね。だ、か、ら!母親のわたしの聴力をうたがうのです。
当の母親が「あ、息子がなんか言ってるけど独り言っぽいし、こっちに聞こえてこないからいいやスルーしよ」と思って発言をとりあげない事象の辻褄をあわせようとして、母親の聴力のせいにしてるんですよ。かわいくないですか?かわいい、愛おしいですよ私にとっては。
母親が息子をスルーしてる可能性を考えない息子、その存在を認知した瞬間。
「あー私もここまで親として、まがりなりにも立派に、頑張ってきたのかもしれない。その一つの答えが、目の前の大きくなった息子が、曇りなきまなこで母親の聴力を疑うことなのだ」と。肩のあたりの筋肉がぶわーーとあたたかくなりました。もはやこれまでの疲れが溶け出してるのかもしれない。いい夜でした。
■「ママにお仕事はじめてほしくない、ずっとおうちにいて欲しい」事件
これは下の娘の発言です。
小学校からの帰り道に迎えに行くと「ママに」といって、落ちてる花を拾って手渡してくれます。あげたかったから、だそう。咲いてる花を手折るのはかわいそうだから、落ちてるのを目ざとく見つけてくるのですよねこの子は。素直で優しくて夫に似て、本当に良い子です。

しかしながら、母親の再就職の話になると「ママにはずっとおうちにいてほしい」という娘。これは自分の子供の口からいざ発せられると、ものすごい殺傷力で刺してくる言葉ですね。たっぷり数秒間、固まってしまいました。
そのあとおもむろに、上の息子をその場に呼び、「妹がこう言ってるが、君はどう思うか聞かせてくれ」と水を向けました。とても私1人でこの問いに対する答えをだせなかったのです。日和ました。
娘、息子、私とそれぞれ思うところを話し、感情を出し合って、なんとかなるだろ、と見込みをつけてその場はなんとか終わりました。
保育園生活を上の子で6年、下の子で6年、あわせて12年間やってきた夫婦です。一時期夫が単身赴任で私がワンオペの時期もありましたが、子供たちには多かれ少なかれ、子供達にとっては仕事をして外にいる母親父親が日常だったはずです。が、2020年〜2023年あたりのコロナ禍でのリモートワーク体制で、子供にも「ママもパパも家にいても仕事できる」が浸透したんですよね。
まあでも個人的にはオフィス出勤はやはりチームで仕事する以上は、あるべき姿だとは思うのです、AI時代は特にその考えが強くなります。
とはいえ、目の前の我が子に振り分けるリソースは親として確保したい。魔法の答えなんて存在しません、リスクを追って、責任を引き受け、育児と仕事のバランスを自分で手探りしていくしかない。それが親業なのだと思っています。
そのあと娘は、わたしに頻繁にこの言葉をかけるようになりました。
「ママ、お仕事、いつ辞めてもいいんだからね?」と。
私はそれを聞いて、はい、その通りにするつもりです、と笑って返しています。こんなに私を愛して、肯定し、ありのままを見てくれる存在が、今まで自分の親以外にいたでしょうか。子供達に親がなにかを与えているのではなく、親の私が、愛を与えられているのですね子供達から。絶え間なく。なんという愛なんでしょう。
親業をかれこれ10数年やってきて、やっとその愛に思い至りました。
というわけで、以上が2026年春の私の現在地。
立派に中年らしく、生きていくつもりの覚悟が整いました。今後とも皆々様にはご厚誼のほど、どうぞよろしくお願いします。
(人生の)最後に見る夢は/私における中年の危機(3)
どうもお久しぶりです。
ここ1年ほどは、子育てにずっぽり向き合っています。
中2息子の尻を叩いたり、下の娘をあまやかしたりして専ら過ごしているので、このまま専業主婦もアリなのではないか?と思いつつも、やはり無職には抵抗があります。光陰矢のごとし、ジャネーの法則を身をもって体験していますから、そう若くもそう老いてもいない40代の今。この少し弱った体を労わりつつ、有意義に使いたい、と。
家庭運営は夫とチームで動かしてますが、稼得で貢献できてないのは心苦しいのも確か。おかげさまで、夫には「家庭のバランス上、職選びは多少はリスクをとっても大丈夫」と前向きな助言をもらっているので、焦らずぼちぼち職探しを進めているところです。
その中でどうしても、前職の経験を整理する必要がありますので、ここらでちょっと自分なりに書き留めておこうと思います。
入社当時、2005年の就職戦線を振り返る
前職では、いろんな先輩がた、ママでもある方に目をかけていただき、その人達にたくさん話をきいてもらいました。ありがたい。その中の1人、1995年以前に入社した先輩が、「弊社はなかったけど、他社では入社にあたって身辺調査があったところもあったと聞いたわよ」と言っておられました(遠い目)。また、ちょうど10歳上の姉の時は、就職活動していた時に「実家暮らしで固定電話がないと一般職には採用されない」とボヤいていたのをリアルタイムで耳にした覚えがあります。1990年代なかば、なかなかすごい時代です。
それに加えて、もう思い出したくもないですが、私たち2005年入社組は、最後の方ではありつつも、2000年2001年2002年2003年2004年入社まで、企業がぎっちり新卒採用を絞った時期でした(今では考えられない)。就職氷河期って名付けたネーミングセンスお見事です。まさに氷河期。淘汰の時代。

氷河期世代 最後の就活:日本経済新聞(2016/6/26)
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO03816520Q6A620C1TZD000/
就職氷河期は、大学で経済学部の金融ゼミを出ても、決まるのは消費者金融といった時代でした。キーワードは、長者番付、武富士、武富士ダンサーズ。

新「武富士ダンサーズ」はネットCMで テレビから切り替え(2005/7/5)
https://www.itmedia.co.jp/news/spv/0507/05/news060.html
また、当時はギリギリ、ウェブ経由のエントリーが始まった頃で、郵送ではない場合、その時期は大学の計算機センターによく通っていたことを思い出しました。計算機センター。。。
ちょっと思い出すだけでもびっくりしてしまいますね。もう20年前の話です。その頃の常識で考えれば、初職が前職で育ててもらった御恩は忘れません。ほんとうにありがたいですし、当時の採用担当部長に話を聞いてもらって「あの頃は」の約20年越しの昔話ができる、これが最高の伏線回収、幸せといわずして、なんといいましょう。
<会社員をやっている時に経験しておくと良い3つのこと>として「転勤」「育児休業」「出向」と挙げられていたのを、なにかの記事で目にしたことがあります。どこで見かけただれの文章かさえもう記憶にありませんが、その時の自分に刺さったので覚えてたのでしょうね。私の場合、2006年から2年強、京都に赴任してたので「転勤」はおさえられました、「育休」も同様に。
なかでも、京都で人生のうちいくばくかを過ごせたのは、すごく良い経験でした。地元、東京の二元論の間のグラデーションを自分の中に認識できましたから。
19年9ヶ月の前職の会社員人生の中で「出向」が経験できなかったのは、そう考えるちょっと残念ではあります。
「(人生の)最後に見る夢をいくらで買いますか?」
再就職する際に「自分は今、何を大事にすべきなのか」というのは繰り返し繰り返し、自分に問いかける必要が出てきます。そういう性格なので。
一度すでに稼得から降りてしまうと、それは思ったより難しくて面倒で辛い作業です。しょうがないのでやるんですけども。
そこで何度も「そうだ、それだ!スタートでありゴールなんだよ」と思わされる、私にとっての港のような存在のブログ記事があります。2015年のこちら(↓)。
執筆は、Twitter/Xで今もご活躍中のSumi氏です。
企業は死なない。少なくとも死なないように頑張り続けることが共通認識なのだ。
しかし、人は逆だ。必ず死ぬ。誰しも知っている事実だが、なら、死ぬことを前提に生きるとき、時に「死なないことを前提にした企業や資本主義の枠組みの中での合理性」が期限付きの人間には必ずしも合理的でないことに最近になってやっと気づいた。

ゴーイングコンサーン(継続企業の前提)の提示からのこの流れ、展開が見事ではないですか?
不肖わたくしも、子育てと、資本主義の相性の悪さについては過去に何度も考えを巡らせてきました。そしてその度に思うのです「無理だ、できない。同時にできるように作られていない。別構造だから。」と。
でもこのブログ記事の素晴らしいところは、ここまでの思考の時点で諦めないんですね。父、自分、子、それぞれの世代を見つめて、子育てしながら持ち場で頑張ること、それを肯定しています。詳しくは読んでね。
治癒と癒しを求めてお伊勢参りへ、そこで気づいたこと

2011年より前に確か伊勢神宮には訪れてるはずなんですが、どうも記録や写真が残っていない。たぶんガラケーのデータの中に死蔵されてるのかもしれません。
ただその時に、外宮がすばらしくて、そこでお守りを買って内宮にもお参りし、持ち帰ったお守りをたまに矯めつ眇めつ、していたのです。

で、今回訪れて初めて知ったのですが、これ、対(つい)でもつと良いとされてるのお守りなんですね。私、約15年以上、ずっと紫のほうを1つしか持ってなかったんです。
紫の内宮(天照大御神)、黄色の外宮(豊受大御神)、の二柱のお守りををあわせもつ。あーーなんだかスピリチュアルみめいたことは言いたくないんですが、自分が今まで軽視していたものがそれなんじゃないのか、1つではなく2つで相互に補い合うのは家庭も同じじゃないか、となんだかしみじみしてしまったのです。
チャイルドペナルティとかいって、子どものせいにするのは辞めよう。子供がいてこその私であり、子どもとは別の私。二つの私がいて、それが私の今の現在地だ、と。
後生大事に一つのおまもりを握りしめてた過去を経て、ええ、今は二つのお守りを並べて手にしています。現場からは以上です。
ブログには、結果だけでなく、途中経過もつらつら書き連ねる、それが結局、私には合ってるようです。自分や子どものプライバシー面で伏せるところもありつつ、自分なりの真摯さで向き合って、ブログを記録と自省の場にしています。
去年よりは今年の私のほうが気に入ってるんだよね、と、そういうふうに言えるようになりたいな、と。
よいご縁があるよう、努めていきます。
遺書ではなく遺言書を/私における中年の危機(2)
ここ半年ほど、自分の人生/命について、何度も何度も考えてきました。
あまり外に出すものでもないですが、私の思考の経過が、いつかどこかでなんらかの良いインパクトを誰かに与えることを願って、書き残しておきます。
「いきなり何?」という感じですが、実はきっかけといえばきっかけがあります。
一昨年ほど前に実母を衰弱死で亡くしたこと。実はかなり心理的にこたえていたのは事実なんですよね、慌ただしくてあまり整理できてなかっただけで、ずっと心の奥底に沈殿していました。
1940年なかばに生まれた母は、時代的に下記が叶えられなかった人でした。
・短大ではなく4年制大学に行くこと
・地元を離れて東京に下宿すること
・女性が稼得能力をえて独立すること
これら自分ができなかったことを自分の子に同じ思いをさせまいと、母は私に対して小さい頃から折に触れて
「大学にいけるように準備してあるわよ」、「(お姉ちゃんたちもそうだから)東京の大学でもOK」、「大学を出たら自活できるようにしなさい」と示し、刷り込んできたようでした。
2025年からは想像しにくいかもしれませんが、2000年以降に就労した1980年代産まれの女性のうち、北関東が実家の私の周りでは「東京に出てはいけない、地元で親のそばで暮らし、親の面倒を見るのだ」と、子どもに地元を離れることを許さないご家庭というのがまだまだあったのです。同級生に何人かいます。
私の実家は北関東にあり、このあたりは数世代前まで農業がメインの産業でした。1920年代生まれの祖父母は、飢饉はともかくとして戦争を経験していますので、「食べるものに困る」という事態を生涯通じて一番に懸念していて、祖父は勤めをしながら自分の田んぼや畑で米や野菜を育てて食卓を賄うということを当たり前にしていました。家長制のもと、家長と次期家長(長男)を中心として複数世代が同居するという家族形態でもありましたし、また祖父母は1946年の農地改革を体験していることもあってか、「小作(こさく)」「自作(じさく)」とはっきりと区別して言葉を使い分けていたのが印象に残っています。
おそらくですが、この時代は「労働力」としての子どもの役割が期待されていて、それゆえバンバン子どもをたくさん産んだ時代です。避妊の手段も限られていましたし、成人に達せずに亡くなる子の割合も、水子も多かった。
1910年前後の時代背景の「おしん」のドラマで描かれたように、子どもを授かっても食い扶持が増えるだけ...と悲観して凍てつく川に自ら入って流産を試みる描写が「明治の寒村ではそういうこともあっただろうな」という一定の納得感をもって受け入れられていたような時代もあったんですよね。

家長制は親と一番年齢差の小さい長子を優先的に大黒柱とすることで、効率よく次代に繋げていたという側面があります。明治期から時代が下がり子を奉公に出さなくても手元に育てられるようになった昭和時代あたりから、愛すればこそ、「子が親元や地元を離れることを許さない」というのは、次期家長と、そして女性に強く作用していた慣習でした。
その前提を踏まえると、昭和20年代生まれの母は自分の叶えられなかった夢、つまり女性の自立を、娘である私に託したのでしょう。
それは良くも悪くも私をしばってきました。
新卒から勤めた会社を辞めるかどうかを決断するときに、繰り返し繰り返し罪悪感に襲われました。どうしてなのか、一般的な「すでに手にしているものを手放すのは、はじめから与えられなかった場合より、惜しく、手放しがたく感じる」という心理なのかも、はたまた「動物が生き残るための本能として、現状からの変化を避ける性質が備わっているから」等々の理由をつけて整理しようとしましたが、どうしてもしっくりきませんでした。
そこで、「(会社を辞めるという決断が結果的に)母の期待を裏切っているから、後ろめたいのだ」という補助線を引いてみると、すんなり胸に落ちて納得することができました。
ただしこれを受け入れるのはとてもとても時間がかかり、辛く、痛みを伴いました。もう一度この一連をやるか?と言われたら断りますし、親と子の関係は、親が亡くなってもこんなに深く楔を打つものなのだ、と呆れました。
キルアの気分です。

母によって受けた「自活せよ」という針は、ここまでの人生で固く、揺るぎなく、私を守ってくれました。
でも、生きている母にはもう会えないし、どちらにせよ母に頼らず、私が、自分自身で、自分のことを決めなければならないのです。そして、それは翻って娘を育てている今にも通じることなのだ、と気づいたのです。
■内省する中で影響を受けた作品
ところで、2024年NHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公もモデルは1914年生まれ、自分の世代以外の女性がどういうふうに生きてきたのか、とても関心をもった1年でした。
特に今年はお姫様ではなく、「自立した女性」像が豊作だった年ではないでしょうか。
(実は1983年「おしん」も同様に、自立した女性の話でもあるんですが...)
また、「合戦のない大河ドラマ」「初の平安宮廷を描く」という点で歴代初だったといえる、「光る君へ」。前半は見てないのですが、後半は時間もあったので追いかけ視聴しました。
『江戸時代における源氏物語の受容』、というのが卒論のテーマだった私にとって、ドラマ上の作劇、権力闘争、浄土信仰(来世、因果)などとても見応えのある作品でした。
一馬力で一家を支える女性(宮中に出仕して稼得する女性)と、そうではない女性(長寿と多産の合わせ技でゴッドマザー)を対比をもちいながら巧く描き分けていて、その点も現代と平安のクロスオーバーというか、女性の役割や立ち位置の歴史的経過に思いを馳せるというか、非常に考えさせられたりも。
そして、息子の中学受験で学び直した戦後の歴史のなかでも、特に財閥解体や農地改革、民法改正、コメ政策の変遷など、いかに2025年に生きる私という個体に影響を与えているのか、おぼろげながら把握できるようになってきました。
いまだに弱いのが戊辰戦争のあたりでここはもう少し学ぶ時間をとりたいですね。それにしても歴史ってほんとに何歳になっても学ぶ価値があります。
自然科学もそうです、ホモサピエンス以外の自然界の生物が、淘汰という洗礼を受けながら、懸命に生をまっとうして子孫を残す姿を見るにつけ、我がことを顧みずにはいられません。自然は師。
■私たちはどう生きるか
つい最近ふと思い出したことの中で、ハッとしたことがあります。
新卒入社した会社で当時、採用面接だったかなにかで当時の役員に1on1で話してもらう機会があり、そのなかの雑談ベースで「うちの奥さんがそうなんだけど、どうして女性って歳をとるごとにああ強くなるんだろうね(カカア天下の意)」といったことを話されて、「さあなんでなんでしょうねえ?」と若い私は返してその場で終わったのですが、それが結構長い間、心に引っ掛かっていました。
依存?世間しらず?家庭内での役割(稼得/家事育児)が完全に分かれていることの弊害?など、10数年思い出すたびにいろいろ考えてはみたのですが、おそらくこういうことじゃないかという仮説があります。

この記事は素直に読めば「老後にやろうはダメ」という主旨です。誰も傷つけない、今この瞬間にリソースを投入せよ、というたいへんポジティブなメッセージですよね。
でも私はここで、彼の配偶者についての記載が気になってしまうのです。
結局ここに書かれているだけでも小倉さんの配偶者は、「夫が遊びに仕事に忙しくしている中で、月々夫からもらう分で家庭運営(別財布)していた」、「老後のためにと2人分のお金を貯めていた」「(おそらく90歳近い)自分の親の介護のために夫とはほぼ別居状態である」ということが分かります。前半二つは昔ながらの「内助の功」そのものなんですよね。
※小倉氏は直接そのような書き方をしていませんので読み取る人によって受け取り方が変わるのですが…
前述の役員や、小倉氏や、私の親のような世代では、「男性が稼いで、女性は家庭を守る」が観念・実態ともに多数派でしたが、私たちの世代は幸か不幸か、まったく違う時代を生きています。私の仮説はつまりこれで、女性も男性もその時代その場所そのコミュニティでの影響を強く受けるが、それに本人が自覚的になることは少ない、というものです。まぁだからこそ俯瞰的に眺めるのには知性と知恵を総動員する必要があるんですが…
むしろ、戦前の華族や商家、地主のような生活をおくる専業主婦を養えるほどに社会が一時的に大きくなったけれど、それはあくまで時代のなかでの瞬間風速的な豊かさだったという、うがった見方もできるほど、驚くほど、時代の移り変わりは激しい。
ともあれ、私達は共働きがスタンダード世代として、上の世代を直接的に真似られないジレンマを孕みつつ、それでも家族を、自分を養い、生活を営み、コミュニティに参加し支え、年々あがる健康保険・厚生年金保険料を納め、2011年民主党政権時代に廃止された年少扶養控除に文句を垂れつつ各種税金を払って、子どもの育つ世界を前に進めて次世代に手渡していかなければなりません。
そのためには、男女に固定化されていた役割を柔軟にスイッチし対話しながら、柔軟に、生きていく必要があるのではないでしょうか。生きるために、知性をフル活用しながら。
くたばるにはまだ早い、でも時間は限られていて、休憩とりながらも、まだまだ人生を切り拓いていく。自分が子どもの時に思ってた40代よりだいぶ若々しくあらねば、ですね。
◼︎人生の棚卸しが済みつつある今、すべきこと
2021年に緊急入院したあと、後悔したことが私にはいくつかあります。そのうち一つは「自分が死んだら家族がどうなるかという想定」を全くしていなかったこと。私が死んだときの経済面での保障がめちゃくちゃ薄かったことに改めて気づいたのです。
夫が亡くなった場合の想定はしていましたが、自分の場合を、お恥ずかしいですがまったく考えていませんでした。。
私が死んだら、夫がしばらくはワンオペで子ども達を育ててることになるでしょう、そんな夫になにも残さないなんて…と暗い気持ちになったこと、そして配偶者を亡くした方から「未成年の子どもがいると遺産分割協議に代理人を立てなければならないので大変」という話を聞いたこと、それらを総合して、遺言書を書くことを決意しました。
※ちなみに遺言書であって、遺言ではないので、自死の心配はご無用です。
書いたみたら書いてみたで、スッキリするものですね遺言書。自分の死後に願いを託せる、今の自分を振り返る、よい機会になったと思います。
2024年、わたしの星座である双子座は12年に一度の大幸運期です。木星が双子座内に入っているからとされています。
占いと私の実態が裏腹すぎて、現状は「幸運?なにそれ?」という受け止めが正直なところですが、時間を経て10年後に振り返った時に、「あの時があったから今があるんだな」と思えるような時間にしていきたいと思います。
まずは無職からの職探し!ゆるゆる自分のペースで進めていきたいものです。
<(1)はこちら >
人生の「昼休み」/私における中年の危機(1)

願わくば、金継ぎのような人間に。

退職エントリを書く気はさらさらなかったのですが、今年の後半は私の人生の中でもなかなかタフな半年でした。今年を終える前に1年を振り返っておこうと思います。
とても自分語りの内容なので、興味のない方にはおすすめはしません。あしからず。
■42歳のリアル(私の場合)
私の場合、初産が30歳0ヶ月。2011年の全国平均は30.1才だったとはいえ、東京圏においては比較的早めな方だったと思います。当時の産科医には妊娠中に「まぁ20代だからなんとかなる(大丈夫)でしょ」と幾度となく言われたのを思い出します。実際その通りでした。
そして30代を通して、育児と仕事とプライベートでの「皿回し」をやってきました。そこからちょうど、いつの間にやら12年以上が経っていました。干支一周です。
そしてこの度、新卒から19年9ヶ月お世話になった会社を今年いっぱいで去ることにしました。
2021年5月から脳静脈洞血栓症を患って今もまだ一部の血栓が残存していること、2023年に実母が衰弱で亡くなったこと、2024年1月まで約3年間 息子の中学受験準備期間があったこと、仕事と家事と育児を皿回ししてるのに加えて上記の要因がさらに乗っかり、最後のトドメに仕事上の諸々が折り重なったことによって私の体と精神とが支えきれなくなった、というのがことの経緯だと思っています。
皿を回すので精一杯で、自分が立ってる場所の日差しが翳ったり、皿回しの皿が増えたことに気づかなかった…といったところでしょうか。うーん我ながら比喩にキレがない笑
■何故こんなことになったんだっけ?
会社を辞めることになった理由としては、仕事に復帰する条件がうまく整わなかった、というのが実情です。
またその上で、背景や環境面からとことん掘り下げて自省した結論からいうと、はやい話が「中年の危機」、なのではないかと自己分析しています。
2024年の7月から数ヶ月、私の状態は下記のように、だいぶ、傷んでいました。
・自分で決める、ができない
自分が何を望むのか、自分の好悪、捨て去りたいものさえ頭に浮かばない、判断なんてとても無理
・自分が何者なのか分からない、自分に何ができるのかという無力感、自己憐憫、自己弁護に陥りがち
このようなさなかで、いろんな人に会ったり、話を聞いてもらいながら、「私って何なんだっけ?」というのを数ヶ月間探ってきました。調子の良い時は本も読みました。でも、分からない。
ちなみにこの期間にやって失敗したのは「言語化」です。言語化するとそれを分かったことフォルダにアーカイブして処理しようとしちゃうんですよね心理として。でもほんとは腹落ちしてないので処理は動き続けて差分がでてエラーが吐き出される。精神的に処理が複線化してマシン(本体である私)にすごく負担がかかりました。
自分が何者か、どこからきて何をなすべきなのか分からないままなんですが、最近は「自分で自分を分からなくても別に良いじゃん」と考えるようになり始めました。自分を過小にも過大にも評価しなければ、ひとまずは気持ちは楽、だと。そしてあわせて「曖昧さ」に耐える強さ、ですね。齢も不惑を超えましたので、ホワイトでもブラックでもない、グレーのグラデーションでもある不確実性を、我が身のうちに飼い慣らす必要をひしひしと感じております。
ところで、チンパンジーの寿命って、生殖を終えた40歳ぐらいらしいのですよ。ヒト(ホモサピエンス)とDNAの塩基配列が98.8%ぐらい同じなのに、寿命はこんなに違いがあるんですよね。そう考えると、あ、そうか、私は生殖のお役目からは解き放たれたのだ、と景色が変わってなんだかとてもしっくりきます。お勤めご苦労様でした自分。
■平均余命 令和5年版

https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1043.html
さて唐突ですがここで平均余命を見てみましょう。こちらを参照する限り、わたくし今42才なので、おおよそ45年です。ヒッ。。
この平均余命が示すのは、つまり「私と同じ年に生まれた42才の人達のうち50%は87歳まで生きるぜ」ってことです。
棺桶に入るまで約45年、健康寿命が10年としてそれを差し引くと35年。ちょっと圧倒されます日和(ひより)ます。人生を24時間で換算すると、慌ただしく午前中を終えて、ちょうど昼食たべてるぐらいの時間ですもの。
■「置かれた場所で咲きなさい」の呪縛

2012年に発刊された230万部ベストセラー、私このタイトルの本を読んだことありません。何故そう思ったのかさえももう自分でもわかりませんが、初めてこの言葉を聞いてからずっと、この言葉が示すものを体現しようとしてきた気がします。
周りを疑わず、まず自分を変えよ、というマインドセット。
ところが、『「置かれた場所で咲きなさい」は、理不尽に耐えよ、ではない』というのが最近の個人的発見です。
原語は神学者によるもので、Bloom where God has planted you. つまり、「神が与えた使命に応えよ」というカトリック思想に根差したキーフレーズ。異教徒への宣教を宗教者としての務めや使命に組み込む宗教もある、というこの大前提を押さえておかないと、解釈がブレるのです。
話題からは逸れますが、最近、宗教というものを文化とともにイチから捉え直しているところでもあり、個人の解釈としてまぁそうやすやすと教義単独で個人を救済はしてくれないという感触をもちつつあるとはいえ、先人の知恵が詰まった習慣として文化人類学的なアプローチで宗教全般を面白がってはいます。あとは息子のタイミングもあって、世界史をもう一度学び直しているので、エジプトもローマ帝国もカトリックとプロテスタントも、十字軍もピューリタンも仏教も儒教もどーんとこい。という姿勢にしていきたいものですね。
とはいえ、面白がる、というのが非常に難しい一年でした。まぁ今の私の状況が中年の危機的なものだと仮定して、特効薬がないということだけは確実にわかってますので、内省、自省、対話を通じてこの時期を通り過ぎようと思います。先人や先輩がたの話を総合すると、乗り越えようとせず、通過する、受け入れる、のがキモらしいです。
最後に、皆さんに感謝、家族に感謝、そして自分自身にも適度な敬意を持って生きて行こうと思ってます。今後ともよろしくです。
< (2)はこちら >
2024終了!わが家の中学受験(35年ぶり2度目)

息子の中学受験がこの春に終わりました。子どものことということもあり、なんでもオープンに自己開示する私があまりオフィシャルにしてこなかった(限られた人としか会話に出してこなかった)のですが、それでもこの3年間は記録に残しておく価値があるし、後で見返すことも多かろう、とブログで残すことにしました。
入学式を終えてすっかり学校に馴染みつつある4月を過ぎて、なるべく子どものプライバシーに配慮しながら、大きくは私個人の立場から見えたことを振り返ってみようと思います。
■どの塾に?何年間?それがモンダイだ
中学受験には一般的には3年間必要と言われています。約35年前に夫が受験した頃には2年だったので、1年も増えてるの?と中学受験準備を開始した当初は、拘束が多くて辟易していたのですが、蓋を開けてみれば「やっぱり3年間は必要なんだと思った」と夫が述懐していました。
これには傾向として、出題の難化というよりは、中学受験塾があまりにも傾向と対策を徹底してくるので、上位校側がそういった問題を出さないと受験生を篩にかけられない、という構造があります。いわゆる「数十年前の開成の問題をボリュームゾーンの子が普通に解かされている」というやつです。
ちなみにこれを「フリーレンに出てくるゾルトラーク」に例えてた人を見ましたが天才的ですね。当時は最先端だった魔法が、数十年を経て擦られすぎて陳腐化してしまうというアレです。

『葬送のフリーレン』 原作:山田鐘人/ 作画:アベツカサ | 少年サンデー
また、中学受験をするかどうか?とそこでまず悩んだり夫婦間で意見が擦り合わせられないといった悩みをもつ方も少なくないようですが、我が家はそこでは迷いませんでした。小学校入学した段階でまず中学受験ありき、が大前提で「塾には行くけど、個別指導とか家庭教師はいらないよね?」が夫婦の合意の出発点。
塾の選び方については、通いやすい範囲にいくつか大規模校が林立してるという塾銀座があるので、そこで小3の11月に試験を受けたところに通いました。我が家は共働きなので自習室がある塾が良かったかなあ、とは小5の終わりぐらいまで迷いましたが、まぁどうせ家でもたいして勉強しなかったので、塾が違っても結果は変わらなかっただろうな…と今なら冷静に振り返れます。
ちなみにここまで大上段で語ってきましたが、我が家で中学受験を伴走したのは99%夫です。私の寄与分は1%もないので、そこらへんを念頭に置きつつ軽く読んでください。
■2021年組>2022年組>2023年組の順でコロナ禍の影響が大きい
コロナ禍が私たちの生活に影響を与えはじめたのは、2020年3月から。2020年2月に試験を受けた子達はむしろ、春休みの行動制限やいざ入った中学校での制限は大きいものの、受験期にはまったく影響を受けていません。
中学受験に限定すると、2021年組がもっとも影響を受けていて、小6の夏期講習(本来であれば天王山です)が、密を避けるために塾側が動画配信オンリーに踏み切ったために自宅学習がうまく機能してなかったというのは噂として耳に入ってきました。息子の通った塾は、「教室に来て、生の授業を受けること」を中心に据えていましたが、それでもサブ的な位置付けで動画配信をはじめてそれは現在でも続けられるているので、のちのちにも良かった点かもしれません。
一方で公立小学校でもGIGAスクール構想のもとに、急ピッチで1人1端末の整備が進められ、2021年4月にはタブレット(当方の自治体が採用したのはApple社製)が配布されました。

これについてはタブレット利用する子ども達への影響としてかなり功罪があり、語ろうと思うと軽く今回の記事量を凌駕してしまう自信があるので、やめておくことにします。
そして、もともと東京オリンピックめがけて音頭が取られつつあった企業におけるリモートワークの推進も、同じタイミングで爆発的に進みました。一般的には育児や介護する人にとっては通勤時間が取られないリモートワークはありがたいものであったわけですが、特に私の場合はコロナ禍の2021年5月から脳静脈洞血栓症を患いましたので、もし子どもがいなかったとしてもリモートワーク体制が敷かれてなければ仕事は辞めざるをえなかったと思います。
まあ良いタイミングで病気になった、ともいえる訳ですけどね。
そのほかに、体感としては、リモートワークで子どもの勉強が見やすくなった父親が多くなったというのもあります。Twitter(現X)でも、パパ垢がたくさんいらっしゃいますので、興味がある方は「中受 202n(nには適宜 受験する西暦を入れてください)」でレッツ検索。
■35年前との違い、親がすべきこと
ここまでつらつらと書き綴ってきましたが、胃を直接つかまれるような受験直前期(おもに年末から1月)を経て、親がやっておくべきこと、やらなければならなかったことを痛感しましたので、その経験を置いておこうと思います。
屍を越えていってくださいねウホ。
・小6の夏期講習前にはおおよその確度、秋にはほぼ90%の確度で2/1から2/4あたりまでの併願校スケジュールをシナリオ別に用意する必要がある、親が最も手をかけるべきはここ
・親がすべきなのは学校研究および併願校戦略、自分で中学受験した親世代でさえ曖昧なのが「受験日を2/1午前にのみ設定しているの学校」の多さと、午後受験の選択肢の多さ
※中学受験の経験がないご家庭だと想像しにくいですが、2/1しか受験日を設けていない私立上位校がたっくさんあります。大学受験に置き換えるところの国立校の受験みたいなもので、受験日がかぶる国立は複数受けられず、1校に絞る必要がでてきます。大学受験における私立のように、偏差値に近いところを総当たりで1校ずつ受験するということが、中学受験ではできない、というのは早くから想定に置いておくべきでしょう
・渋谷のカラスは(もはや)ないし、学世田や慶應中等部は35年前より相対的に偏差値が落ちている、祖父母世代にウケのよしあしがある点は勘案しつつ、学校法人の最新の動向を夫婦双方で頭に入れるべし
・小学校受験でも話は同じだが、国公立と私立はまったくの別物。出題傾向もそうだが、国公立を受験するなら調査書がいるので、小5から学校の成績で無双する必要があり、課外活動や出席日数も見られる。国公立を少しでも受ける可能性があるなら小4のうちに受験要綱を読み込んでおくべし。ただしお子さんが教科に偏りのない島津くんタイプの優等生なら問題なし
・自宅から通える範囲内の学校をすべて洗い出して偏差値問わずに検討する、学校説明会は親のみでもよい、子どもを連れてくなら親が選定した本命校から順番に!! 1回目の印象は11歳の子どもにとっては強烈なのでその効果をうまく利用すべし
・自宅から通える範囲で、持ち偏差値を下回る学校は特に念入りに研究して、できれば生の声を情報収集するまでがベスト、見落としがちだがこれマジで大切だから2回言うね
※ちなみに持ち偏差値って、中学受験界隈でしか聞いたことないんですが、業界用語かもです
◾️親の心理面
中学受験を走り通してみて(いやおもに走ったのは息子と夫なんですけど)、本当にびっくりするぐらいストレスフルでした。受験するのは親じゃないのに。
負荷がかかるということは成長している、もしくは新しい環境に適応しようとしている兆候なのでそう悪くはないのですが、問題は自分ではない人間とどう折り合いをつけるかという一点にあったように思います。
まず、少なくない額の学校外教育費(塾の月謝)を経済的に負担しますので、ギャンブルみがあるというか、サンクコスト効果による揺さぶられが親自身に課されます。

次に、組織における評価と似た話ですが、3年間という中長期を走り抜く中で、期待値コントロールが重要になってきます。むろん、大人同士のようにはいきません。客観的な自己分析やメタ認知が未発達な子どもを相手にするので、親側がすべて見越してすべて譲歩しなければなりません。ストレスフル!

しかしながら、ここまできてふと、「あれ?子どもって自分のコピーじゃなくて別個体で、尊重すべき個人なんだ」という悟りがおとずれます。上司と部下ではないし、ましてや出資者と事業主の関係でもない。
つまり、自他境界(バウンダリー)をひくことが非常に重要なんですね。
子どもは親の作品ではない、というのを腹落ちするのが中学受験。だから中学受験は親の受験なのだ、という話なのだと解釈しています。
ただし、中学受験は競馬に例えるとものすごく腑に落ちるところが多いです。遺伝とか。でもちょっと万人向けではないのでここでは控えます。ご興味ある方は個人的にお尋ねください。
◾️参考になった作品・書籍
・中学受験をテーマにした大作、この春完結。励まされる、子ども本人も読める
二月の勝者
・塾の比較をするときに、日経デュアルが重宝しました
・地方出身で高学歴、または子どもに医学部を考えているなら一度は読んだ方がよい。藤沢数希はTwitterもおもしろいです
・塾の関係者の本がたくさんあるが、推すならこれ↓かなあ、なにせ業界歴が長いので東京ローカルの人は特に納得しやすい、校風がわかりやすく分類されてるというのでもお役立ち
中学受験で大好きな学校に入ろう (ちくま新書 1764)
ちなみに、中学受験は独自性が高く、よく「演習を複数回回すために複合コピー機が家庭で必要になる」とかまことしやかに言われるのですが、我が家の場合はテキストを一周するのさえ無理なので、小6秋以降に過去問解く時にしかコピー機のお世話になりませんでした…(近所のコンビニで事足りました)。ところでその過去問を出している出版社のYoutubeチャンネルが、過去問の売れ行き状況の昨年対比をもとに情報発信をしており、併願校戦略をたてるときに非ッ常ーに参考になりました。
◾️思い出
我が家の場合に限った話ですが、小6の春休みまで家族で旅行にバリバリ行ってました。塾休んでも、あとでプリント配られるし良いかと思いまして。まぁでも気づけばそのプリントも手をつけられずに時の流れにまかせて積まれたまま。おほほ。
全国ほうぼうに旅行に行っても、その地方の歴史や風土気候や地理的特徴や名産物や農産物の収穫量や河川やその源流や算出される天然資源や産業や公害や隣接する地域や旧国名や大名家や藩主やその地でかつて栄えた貿易品や渡来した人物年代出来事を頭に入れられるわけではありません。
そこは期待したほどには記憶に定着しておらず、かずかずの旅行を主催アレンジした夫がたまに激しく嘆いているのを見かけましたが、まぁそれはそれ。スパイラル学習、記憶の定着には繰り返し繰り返しのインプットが必要だってことですね。
あと夏休みが山場なのでこそっと自由研究は6月あたりにやっつけたりしてました。

習い事に関していうと、ヴァイオリンは1年間おやすみして、小6の2月の第2週から早速再開。同じように中学受験するお子さんの多いクラスなのでそこは非常に理解がありましたし、他のお子さんでも音楽がよい気晴らしになってるケースもよく聞きました。
土曜の朝にもかかわらず、いつも通りに起きて制服を身につけ、7時過ぎには弁当を携えて家を出る息子を、ねぼけまなこで見送りつつ、中学受験して本当に良かったねと夫と頷き合ったり。夫よありがとう。
これから不登校になるかもだし、力不足で留年もしくは公立中に転出するかもしれないし、親とて離婚や死別で私立の学費が払えなくなるかもしれないし、未来はまったく分かりません。ですが、息子中1春のささやかな記録として残しておきたいと思います。
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東電OL事件を描いた2003年「グロテスク」(桐野夏生)を2023年に読む理由/ネタバレしかしない
このブログはそんなに全体のアクセス伸びてないのですが、なかには息が長くほそぼそと読まれているものもあり、そのうち一つがドラマ「ロングバケーション」のレビューです。
90年代に作られたものって、良くも悪くも今webに残ってないので、そういう意味で懐古的な文脈でネットの海を漂った方々が流れ着いてアクセスしてくれてるのではないかと思ってます。ありがたい。
ロングバケーションが放送された96年といえば、オウム事件がまだ色濃い影響を社会に与えているなか、初代ポケモン(サトシ・ピカチュウ)のアニメ放映開始があり、薬害エイズや住専問題といった社会背景にくわえ、文化的にはたまごっちや、アムラーやルーズソックスなどの流行がありました。
翌年の97年、2月にセーラームーンの放映が終了し一時代の終焉をむかえます(個人的な感傷)。
東電OL事件は同じ97年3月に起こった事件ですが、同時期に酒鬼薔薇聖斗事件が春先から夏前までセンセーショナルに取り上げられていて、私はほとんど当時のことを覚えてません(まぁ私も犯人も同じく1982年生まれの当時14歳だったということもあります)。
今回取り上げるのは、その97年に起こった東電OL事件を下敷きに、フィクションとして2003年に刊行された「グロテスク」という作品です。

私は20代前半で読んでるはずなのですが、ちよっと機会があって2023年に読み直してみたら、全然、物語を理解する解像度が違ってました。歳をとるってこういうことか!と。
いやー、コロナ禍で源氏物語を角田版で読み直してみたら、「え、若紫って10-12歳で18歳の源氏と出会ったのか」「紫の上って外戚政治全盛の時代に、子なしで正妻扱いだったの?破格じゃん!しかも実家との関係悪くて夫の源氏に依存するしかない構図とか辛すぎ…」「光源氏41歳で、15歳の女三の宮降嫁だと?くるっとる!」「紫の上、亡くなったの40手前?出家したいと望んでたのに晩年が気の毒すぎる…」とまあ、若い頃に読み込んだはずなのに、発見の連続です。

主要な登場人物の歳を自分自身が超えて初めて分かる、若さゆえの過ちやイキり、老いてもさして変わらない人間性など、ほんとにすごい読書体験でした。盛者必衰。
話を「グロテスク」に引き戻しますと、東電OL事件の被害者である女性は、1997年(平成9年)に亡くなった当時、39歳でした。当時、センセーショナルに報道されたのは、慶應出身で東京電力という大企業の会社員(経済分野の研究職)という昼の顔と、渋谷・円山町で街に立って直引きすると娼婦という、昼夜の対比が理由だったようです。
当時はマスコミ取材にプライバシーやコンプライアンスが無く面白がって書き立てる時代ですし、そもそも被害者は1986年の雇用機会均等法前に社会人となって18年以上たってるわけで、同期入社に女性が少なく寿退社も当たり前の時代では「アラフォー会社員の女性(総合職)」自体がとても珍しかったこととも関係してるでしょう。
「グロテスク」は上下巻に分かれており、上巻は被害者が高校時代を過ごした「Q学園」での生活や出来事と内面描写に、ほとんどの筆が割かれます。被害者女性は実際に、高校から慶應女子に入学して大学まで進んでいるので、この物語に登場するQ学園のモデルは慶應女子高であることがおのずと読者には読み取れるわけですね。
体育の授業で必須のリトミック、小学校・中学校からの内部進学者と高入組との空気感、体育会の幅のきかせ方から同学年だけでなく上下の学年での強固な繋がり。物語で描かれているのは作者による創作、つまりフィクションの世界です。
とはいえ、身体的な暴力行為ではないものの、直接手を下さないけど確実にメンタルを削られる言動(語り手のうちの1人である「わたし」はQ学園に高校から入学し孤高を保とうとしたがうまくいかず、体育の授業でクラスメイトに「ダサい、ビンボー」と言われて泣く)でイジメの対象ではあった描写は、多かれ少なかれ、どこの中学高校でも実際にあったことではなかったでしょうか。
ふと、さかなクンの「広い海へ出てみよう」を思い出しました。

上巻の高校での人間関係の描写に自分の中高時代を重ねて陰鬱な気持ちになりつつもページをめくる手は止まってくれません。下巻を読んでたら、中学校高校の息苦しさの機序そのものズバリを中高の先生(登場人物)に語らせる箇所がありましたので引用します。
※私立の中高一貫校の科目担任教師は、担任する学年とは別にほかの5学年の科目を教えることも多く、40年ほど勤め上げるので親と子で同じ担任ということもあるほど。毎年度ほぼ同じ内容が同じ人物によって繰り返されるので、そのせいで生徒からすると傾向と対策が非常にたてやすくなります。固有の問題として、ノートの貸し借りという行為が成績つまりテストの出来に直結するようになり、コミュニケーション能力つまり政治力を駆使してノートを貸すよう迫るという押しの強さを内部進学生が外部生に発揮するシーンが多くなるのは、よしながふみ「1限めはやる気の民法」でも描かれています。よしなが先生は71年生まれで都立高校から慶應法学部卒業。
▼「グロテスク」下巻P147より引用、生物教師であった木島先生の手紙
生物の個体群というのはとても面白いです。
食物と生活環境さえ整っていれば、個体の数はどんどん増えていきます。このように個体密度が高まることを個体群成長というのはミツル君もよく知っていることでしょう。個体密度が飽和状態を超えれば、今度は個体間の競争が激しくなって、結局は出生率が低下し、死亡率が増加します。個体密度の高まりは、しばしば個体の発育や形態、生理などに影響を与えることは生物学の常識です。(中略)
佐藤さんの二重生活も、個体の形質の変化なのではないかと考えたのです。個体密度が高まったというより、同一の生活環境の中に留まる息苦しさ、と言いましょうか。その苦しさが形態の変化を生んだのだと思えてならないのです。(中略)
密度が低ければ、生物は単独生活をする孤独相になり、高ければ形態に変化を起こしながら集団で暮らす群生相になる。だけど女生徒の場合は孤独相になり得ない気がしてなりません。生存競争が激しいからです。成績、性格、経済歴な基盤だけならともかく、何よりも容貌という、持って生まれたどうしようもないものが加わるからです。これらが複雑な様相で絡まり、ひとつ勝てば別のもので負けるという激しい競争を起こしていた(略)
語り手であるQ学園の教師の作劇上の役割は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」におけるゾシマ長老といったところでしょうか。

タイトルの「グロテスク」は、ルネサンス様式の中の一つである美術様式のグロテスクから発想され、上巻のカンブリア紀の想像図のくだりなどで何度も想起されるように配置されたモチーフなので、物語の主題で「奇妙に変形された肉体」と「人間と生物(を分つものはなんなのか)」であることは間違いありません。
ホモサピエンス=人類を、いかに捉えているかがこの小説のタイトルに回帰していくわけですね。
タイトルの付け方にもいえることですが、生物教師の口を借りて、ここまで女性の立場について深く踏み込んで登場人物に語らせることができるのは、桐野夏生その人の技術と、観察眼に裏打ちされた確固たる思想がなしえて届いた頂点です。
まして、舞台装置というか作劇の点でいうと、この物語では被害者をモデルとした「佐藤さん」は主人公ではありません。
生まれながらの美をもった「ユリコ/ユリオ」と、頭脳を磨き続けた「ミツル」、悪意で世を渡る「わたし」とあわせた複数の登場人物のうちの1人に過ぎず、彼女たちはQ学園の中高生活のうちのほんの1年ほどに深く交錯しただけで、その後の人生はほとんど交わらずに過ごします。しかし、その「佐藤さん」がなぜQ学園在学中に拒食症に陥り、30代になってから昼と夜との二重生活を送るようになったのかが、他の3人の語りを経て鮮明に、桐野夏生氏の意図を理解できるようになっているんですね。
正直、20代で読んだ時とはまったく異なる重さの物語でした。
物語の読み手として20代の私から変化があったのは、おそらく私が娘を産んだこともあるでしょうし、もうすぐ思春期を迎える息子を通じて「オスの世界」の輪郭を理解し始めたということもあります。そして、40歳前後って本当になんというか、自分が至ってみて分かりますけど、特に迷いの多い時期ですよね。生殖能力、女性の場合は妊孕性が徐々に失われるからでしょう。
ユリコの息子で、母親の美貌を受け継いだユリオについて、人物造形上の作為で「目が見えない」設定にしたのも作者の意図としては、非常に、非常に業が深い。
すこしだけ逸れますが、近年の慶應を頂点とした一貫校をモデルにした創作でいうと、2016年刊行の「あの子は貴族」(山内マリコ)があります。

▼作者/山内マリコ氏のコメント(抜粋)
「下から慶應」がどれだけ特権階級的なステイタスなのか、上京してきた人には感覚としてよくわからない。そういう一部の人たちが、世襲で政治家になって日本を動かすのが「普通」であるのも、地方出身者からすると斬新に思えたのでした。階層の固定化とはこのことか、と。
東京のお金持ちを2年ほど取材して回りましたが、知れば知るほどその世界は、テリトリーも人間関係も狭くてとても保守的。彼ら特有の「地元に居続けてる」感は、わたしがよく知るいわゆるマイルドヤンキー的なものと、根っこの部分は似ている気がしないでもなかったり……。
「あの子は貴族」は、現代に近い分だけもっと物語そのものがライトで、結末にも希望があり、シスターフッドにおける考察は別記事でも書きました。主人公たちが30前後までのストーリーなので、やはり2003年に描かれた「グロテスク」の語り手が40歳を目前にしている年齢という違い、また、抉り出した息苦しさや焦燥感、絶望感とは趣きが異なります。
「あの子は貴族」の主人公は実在すると仮定して2023年の今ごろ40歳目前でしょうし、もし「グロテスク」の下敷きになった東電OL事件の被害者が生きていたら、2023年は65歳前後になっているはず。ほぼ親子といってもおかしくないような年齢関係ですね。2作品の違いは、それだけ一貫校を頂点とした社会が、世間が、個人が、絶え間なく変化し続けていることの証でもあります。
「グロテスク」を書いた桐野夏生氏は71歳、近い世代でいうと林真理子氏が69歳、上野千鶴子氏は74歳。一方で、よしながふみ氏は52歳、「あの子は貴族」の山内マリコ氏は42歳。
彼女たちの世代がどのように、1986年の雇用機会均等法から現在までを生き抜いてキャリアを積んだのか。どこかで連続的に振り返ってまとめる機会があれば良いのですが、それはまたの別の機会にしようと思います。
とにかく「グロテスク」は、時代を描きながら、時代を超えた名作です、ということが20年の時を経て言いたかったことです。
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ちなみに余談ですが、入院した時に気づいた病院の学閥について。
慶應と東大は特に医療系での学閥も強いので、東京に住んでると、街中の病院のロゴの色やデザインを見ただけでなんとなく出身大学が想像ついたりも。
東大出身の方はイチョウのモチーフ使ったり、一方で慶應はペン先という具体的なモチーフを避けつつもインディゴブルーと金の組み合わせを地色にしていたりするので。


この色の組み合わせは「グロテスク」のなかで、花形であるチアリーダー部のコスチュームの色としてだけでなく、象徴的な意味をたずさえて出てきますのでお読み飛ばしのなきよう!(ポスターは2015年のもの)

さらに余談ですが「ハッピー」が名前に含まれてるクリニックは、東大出身の起業家であり事業オーナーの方(2023年没)がとなえる教義に、開業した先生自身のほかスタッフの皆さんまでがとてもとても忠実な印象ですね。
病院選びの際に参考にしてみてください笑
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単身赴任パパ、ワンオペの母、そして赤ちゃんだった頃の君 <息子と娘への公開書簡 No.05>
ところで2023年4月14日から、ポケモン新シリーズが始まります。
1997年からのサトシ/ピカチュウのレガシーを引き継ぐのは、2人の主人公体制。リコという女の子もいます。なんという現代らしさ!

ポケモン好きの息子に聞いたら、Huluで25年の歴史を終えたサトシとピカチュウの最終回を見て感動したそうです。え?いつ見てたの?…いつのまに?漢字やった?
とうずまく母心はいったん横に置いておいて、ほんとに歳月の流れ方の早さのエグいこと!
もう色々子育ての記憶が薄れていっている(現在進行形)なので、思いつくままに妊娠前後から子育て3年目ぐらいまでを振り返っておこうと思います。
<2011年>
上の子は、東日本大震災の年の夏に生まれた子です。
当時、結婚したすぐあとの2009年から夫には単身赴任してもらっていて、「まー3年ぐらいで帰ってくるだろ」と今思いかえすとかなり甘い見込みでおり、2010年暮れに妊娠が発覚。
あれよあれよとお腹がデカくなり、震災当日は休憩中で、地下2階の食堂なのに据え付けのテレビがぐらんぐらん揺れて落ちてくるかと思いました。そのあと緊急で館の終礼的なのがあって、お腹が大きいまま勤務先から徒歩で、2時間ほどかけて薄暗くなる道をとぼとぼと家に帰ったことを思い出します。
家に一人なのも怖いですが当時は「雨を浴びたら人体に影響がでる」とか「外に出るとヤバい」などの有象無象の情報が跋扈しており、私が判断を誤ったせいでお腹の子になんか障害がでたりすこやかに産まれてこなかったらどうしようとかなりメンタルやられました。このときから情報収集のためにTwitterはじめたんですよね。
また、ちょうど区分所有となる住宅購入のタイミングだったので、震災の影響でリフォームに必要なお風呂のパーツを作る工場が被災して在庫が全く無い…などの事情があって、入居できる状態になるまで1-2ヶ月遅れが出てしまい、結局妊娠8-9ヶ月ぐらいで住む場所が不定(その時は実家に帰る判断)の身になったりしていました。
単身赴任の夫は、いつもなんだかんだで災難が彼を避けて通る最強のラッキーガイなため、私が「震災で街が灯火制限してて、とにかく真っ暗で東京が怖いんだよ」「コンビニにご飯がなかった、パンもないし、輪番停電の対象地域になるかも」と言っても名古屋にいるのでどうも反応が薄くて、恨めしかったですねえ。今だから言えることですけども。
そんなラッキーガイの夫は、息子の入園前には1ヶ月、育休という名の有休消化をとってくれたりしていました。2012年段階で育休とりたいと言ってエイヤと休んでしまえる覚悟のある人はものすごく、ものすごく少数派だったため、彼なりにいろいろ苦労したとは思います。そんな顔全然してませんでしたけど。
この時ハイハイしてる時期の息子と家族3人水入らずで沖縄で3週間を過ごせたのは今でも指折りの良い思い出です。ホモサピエンスが死ぬ前に走馬灯のように駆け巡るという脳内再現シーンのうちの一つには、私の場合必ずランクインするでしょう。
<2012年>
こうして、息子が産まれて、結局1年間の産休・育休をとって2012年春に仕事復帰したわけなのですが、0歳で保育園に入れたのには理由がありました。当時、まだまだ3歳児神話(クソいので説明はぶきます)とかありましたけど、そこはそれ。
ハイ、「待機児童問題」です。
これ最近、出生数が減ったことで解消するされてしまい、とんと聞かなくなりました。
でも当時はめちゃくちゃ深刻で、私たちの住んでいる自治体はワースト1の実績を誇ってたところでした。ただ、待機児童はカウントの算出方法も全国で統一されておらず、実態ベースではもっと酷いところもある!とは言われていたものの、サラリーマン父母の場合、持ち点が同点の家庭がズラーっと並ぶため、保育園入園のためにペーパー離婚する家庭がある(持ち点の加点を狙っての行為だけどダメ絶対)とか無いとか、とにかくそんな噂があったほど熾烈だったんですよ。
うちは幸いなことに、親が単身赴任だと加点があったので、入園することができました。振り返ると、同じ年に入園したご家庭みてると、別に0歳児クラス(0〜1歳)なら単身赴任の加点が無くても入園できてたような気はします。ただし、1歳児クラス(1〜2歳)の入園は、どこも絶望的でしたね。1最近児クラスは、育休切り上げの加点がないのと、0歳児クラスの人数が繰り上がるため実質入れる枠自体が少ない構図に対して、育休を複数年とった人が一斉に入園申込するので溢れやすいからです。認可外の保育園に預けて持ち点を稼がないと入れないご家庭もザラにありました。
「保育園落ちた日本死ね」と、SNSで怨嗟が話題になったのは2016年2月。
ちょうど息子の入園から4年後のことでした。今読んでも共感しかありません。
<2013年>
まぁ2012年春から短時間勤務制度を利用しながら、ゆるゆると営業で働かせてもらっていたのですが、自分一人が基本なので、その頃の記憶があんまりありません。その頃から「ワンオペ育児」という言葉があったかどうかも定かでないですし。※調べたらどうも2015年あたりからのようです
覚えてるのは、歩道橋などの高いところが異様に怖かったこと。

この頃の移動手段はおもに抱っこ紐だったんですが、歩道橋に登ると「あれ?私、ここから落ちちゃう?息子もいるのに?」と強迫観念みたいのに取り憑かれてしまい視野が狭窄するので、目をうっすら瞑って抜き足差し足忍び足ーでないと渡れない体になってしまっていたんですよね。
今思うと「やべえから休みなよ!」と自分に声をかけてあげたいですが、まぁ年齢が30ちょいと若かったので、体力とエイヤ!と気合でなんとかなってました。ちなみにベランダも怖くて出られなかった。あれは一体なんなんだったんでしょうねえ(虚。
ちょっと色々ヤベエので「ユー。君ちょっと、家に帰ってこないか?」と、その時点で単身赴任4年を超えてた夫に、割と真剣に相談しました。夫婦の会話をへて、夫が会社にネゴし、会社には渋い顔されつつもプロジェクト自体は大成功だったので、夫が4年9ヶ月ぶりに家に帰ってきてくれることになりました。安堵。
さらば単身赴任。
息子は1歳9ヶ月になってました。
この後、夫が帰ってきたタイミングと前後してわたしの仕事で部署異動があり、営業から企画職に変わったりで色々あったんですが、それは別のお話にまとめているので端折ります。
<2023年の今、思うこと>
子育てしてきてはや11年目、ひとまわりになろうとしています。
待機児童問題はどこかに消え失せ、コロナ禍でいっきに進んでしまった少子化問題が2023年から大きく予算が割かれるようになり(ところで自分は社会保険料もあがるのは納得いかないので年少扶養控除の復活はよせいや!派)、2022年には男性の育休取得の義務化が法制化されました。
単身赴任の制度を見直す企業も増えてきて、何より体感として、息子と7歳差の娘の保育園の送迎、息子の時より確実にパパが増えましたね。朝は8割がたパパですし、スーツでビシッとお迎えにくるパパも増えましたし、パパが育児に関わってます。
まあ裏を返すと家に仕事を持ち帰る人が多くなったということでしょうし、仕事とプライベートの境界は、コロナ禍をへて、どんどん曖昧になってきているように感じます。
SNSが全盛期を迎え、いくらでも時間を費やせる無料の娯楽や誘惑の多い中で、人生100年時代を過ごす私たちは「なにがじぶんにとって大切なのか」を繰り返し、繰り返し、何度も問いながら過ごす必要があるのだと思います。
人生は一度きり!YOLO.
まあ肩の力を抜きつつも、あらがって、楽しく生きていきたいですね。そんな話でした。
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