引退した元・腐女子がおっさんずラブを鑑賞してみた

BLを離れて久しい私ですが、あまりにTwitterが盛り上がっていたのでとうとうHuluで鑑賞してきました「おっさんずラブ」。

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www.happyon.jp

 

レビューをあげようと思ったものの、自分の中のBL歴史に踏み込まないととても書けないので、読み苦しいとは思いますが私のBL歴をここに、はじめて、しれっと、晒すことにします。

あ、「BLってなんぞ?」という方は各自でおググリあそばされますようお願いします。

 

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私がBLを消費していたのは中高生の頃で、分かりやすい例をあげるとスラムダンク幽遊白書エヴァンゲリオンの全盛期だったとお考えください。蔵×飛か、飛×蔵か、それが問題だ。そういうやつです。察してください。ぐぬぬ

 

90年代後期〜2000年にかけての当時、同人誌即売会では少年ジャンプの連載漫画はすでに完成された同人誌ジャンルに育っていたものの、のちの「黒子のバスケ」のようなあけすけな盛り上がり方というより、より趣味性の高くオタク的で閉鎖された文脈でファンに支えられていました。

同人誌の一方で、「BL」で括られ商業誌やコミックで提供されるオリジナルコンテンツも書店の片隅にひっそりと存在していました。当時は Amazonとかネット通販無いですから、友人に借りるか書店で買うしかコンテンツの入手方法がなかったわけです。

追記:あ嘘嘘、郵便小為替という手段がありました。知ってる人だけ笑ってください。

 

お小遣いが限られてるので、物々交換的に自分の推しコンテンツ(やおい作品やBL)を友人と貸し借りし合って感想を語り合うなどのオタク仕草も全盛でした。今考えるとしょっぱい話ですが、同志がいるとどんどんその世界にハマれるのは、アイドルにもミュージシャンにも共通してますね。

※ここでいう「BL」は商業誌、「やおい」は同人誌的な要素を含む用語として整理してます

 

どうしてBLを嗜なむようになったのか、当時の心境を自分なりに分析してみましたが、「思春期ゆえ」というのが結論です。

 

ここらへんはBL論としてほうぼうで議論が尽くされてますが、思春期という潔癖性と恋愛への興味で揺れ動く中、「自分の性が対象とされない恋愛ファンタジー」を欲していたのだと思います。

思春期の女の子のラブストーリーや少女漫画は読み飽きた、けれど生々しい話も嫌だ、なんとなく女という性が性的消費される存在であることも理解したし、何より暇な時間がどっぷりあるという環境です。同好の士がいることは心強くもありました。

 

彼女たちに目を向けてみると、BLだけにハマってるという子は少なくて、アニメもミュージシャンもアイドルもお笑いも触るけど、主戦場はBLという子が多かった印象。

見た目もギークではなく、大人しめで、頭が良く、親が硬い職業に就いている子たちでしたね。読書量が多く、国語と英語の成績のいい子がほとんどでした。富士見ファンタジー文庫読んでる子も多かったけど、あれ中学生でいったん飽きて落ち着くんですよ。

コスプレはほんの一部の子がしている状況で、私の知り合いの中にはいなかったな。創作してそれを世に出してる人はかなりの数いましたけど。

と、そんな状況で、中高生期の私は「閉じられた世界の娯楽」としてBLを享受していたわけです。

 

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 ここまで私的な経験を綴りましたが、ここからさらに説明が入ります。おっさんずラブのレビューを期待してる方はちょっと我慢して読み進めてください…。

 

もともと、恋愛ドラマにはなんらかの「障害」が必要です。

 

例えば、ごく普通の家庭環境のごく普通の少女が、生れ育ったごく普通の街で、ごく普通の少年とごく普通に恋に落ち、ごく普通の半径30m以内の人々に祝福されて、ごく普通に結婚するというストーリーを読んでみたいと思いますか?

少なくとも私は「いいえ」です。

 

家族に反対されるロミオとジュリエット、人妻という縛りがありながら惹かれあうトリスタンとイゾルデローマの休日で描かれたのは身分差の恋でしたし、年の差、貧富の差、ヴァンパイアものに代表される異類婚も恋する2人の障害となり、一方が病気や不死の病に冒されているパターンももちろん当てはまります。

強力な恋敵がいたり、異界が舞台だったり、主人公と相手の設定になんらかのひねりがかかるなどの障害がない限りはフィクション(恋愛ドラマ)として成立しないのです。

なぜなら人は多くの場合「現実から解き放たれるための翼」としてフィクションを求めるから。誰も日常を反復されるようなフィクションを必要としないということになるわけです。

 

、、、まあそう考えると、ただひたすら日常を垂れ流す「らきすた」(アニメ放映2007年)がヒットしたのはものすごーく現代的ですね。フィクションに非日常を求めなくなった傾向というのは、現代人の多忙さと視聴スタイルによる変化を受けた『進化』だと思います。「仕事から疲れて帰ってきた深夜、日本語の牧歌的なコンテンツでクスッと笑って眠りにつきたい」、そういう需要をぎっちり取り込んだ進化。

 

ここではたと気づくのですが、「同性同士」というのもここまで述べてきた恋愛ドラマの障害として、立派に成り立つんですよね。

2018年になった今はだいぶ状況が違ってはきましたけれど、同性同士の恋愛って十分に禁忌とされていた時代があるわけで。今も完全に受け入れられているというわけではまだまだ無いですが残念ながら。

 

おっさんずラブ」という作品は、同性愛をまんま恋愛ドラマの障害として取り込みながらも地上波で大成功したという意味で、エポックメイキングなドラマなんです。

 

正直、高校生の頃の私にはBLが、実写で、民放で、恋愛ものとして視聴者に受け入れられる日がくるなんて想像だにしませんでした。わたしにとってのBLは、前述したように「閉じられた世界の娯楽」だったからです。

 

おっさんずラブは原作ありきではなく、完全なるオリジナル脚本だそうです。

とはいえ、BLマンガによくあるパターンを見事に、老獪に、細心の注意を払って踏襲されていますので、小姑感満載で以下に挙げ連ねておきます…。

これらの絶妙な加減が、一般視聴者に広く受け入れられた神要素だと思いますので…。

 

①主人公が無垢な犬属性で好かれまくる

②主人公は当初ノンケ異性愛者)

③言い寄る側の男性がやたら家庭的

④セクハラとかパワハラが適用されないご都合主義的展開

⑤主人公のことを想うあまり身を引くという献身性が割と頻出

⑥妬み嫉みなどの感情的にウェットな展開になりにくく、さらっと別離する

⑦女性キャラクターは総じて主人公の恋に協力的

⑧主人公の心中が言語化され、それらはツッコミ混じりのコメディタッチになる

 

こういったお約束感を踏まえた脚本のしたたかさはもちろんヒットに貢献してますが、このドラマで一番素晴らしいのは役者陣ですよねー。ですよね?ですよ。

主演の田中圭の滲み出る色気と雑さのギャップはもちろんですが、ヒロイン吉田鋼太郎の破壊力は特筆モノです。

 

浮世離れしたキャラクターに、現実味を与え、納得できるおとぎ話に仕立て上げた、表情筋。声。歩き方。抑揚。間の取り方。視線の動かし方。眉根の寄せ方。つばの飲み込み方。吐く息と下顎の震わせ方。まばたき。指先まで丁寧に演技してるからこそ、の説得力!!!!

ヒロインはこうでなくっちゃwwwww

 

下記のインタビューでも吉田節が冴え渡ってます。さすがベテラン。

www.oricon.co.jp

 

なお、本ドラマの放映はテレビ朝日系列で、プロデューサー3人は全員女性。

 

そのうちの1人である貴島Pは1990年生まれで、小学生時代にセーラームーンシリーズが全盛期を迎え、彼女の高校生時代には池袋の「乙女ロード」が広まりつつあった頃。

つまり、私の世代よりもBLがじわじわ市民権を得てきた頃に青春時代を迎えている世代でもあるのです。

BLに対するライトな感覚が、今回のドラマ制作に良い影響を与えていることも確かでしょう。SNSの戦略も大当たりで、そのへんも含めて非常に2018年的な作品ですね。

 

最後になりますが、「貴島」という姓にピンときた方、90年代のドラマに目がないですね。

そうです貴島Pの父上は、なんとこの方

 

懐かしみしかありません。

とりあえずいろんな方向から楽しめるドラマです。7話完結と短いことも手伝ってさくっと見られますので、映画公開される前にぜひこのビッグウェーブに乗りましょう。

乗るしかない!

 

〇公式サイト

https://www.tv-asahi.co.jp/ossanslove/

 

 

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