とうとう迎えました最終話!
ドラマ制作のうえでも、最終話はシーズン全体の完成度を決める重要な回。
早速ですが少しでも早く反響を届けたいので、手早く振り返りつつ順番に言祝いでいきます。
<未見の方はこちらからどうぞ>
1.世に初めて「異性愛以外」を問うたドラマ(娯楽)の力
私はこよなくマンガ芸術を偏愛する者です。
浮世絵の流れを汲みながら、独自に発展して爛熟期を迎えている日本が誇る二次元の紙の芸術を心から愛してますし、よしながふみ先生の偉大さにひれ伏す一読者でもあります。
でも、だからこそ知ってるんですよね、テレビの力を。
テレビという媒体は、本当の意味でのマスメディアなのです。
まずもって情報を受け取る人数のボリュームが違いますし、「なんとなくみる」が成立するメディア。たいして興味がなくてもテレビをつける人は多く、同時刻に同じコンテンツを視聴することになりますので、それは新聞や紙媒体やWeb媒体ではなし得ないことなのです。地味ですがここ重要。
何が言いたいかといいますと、つまり「このドラマを見て救われる人、これから未来への意思決定に影響を及ぼされる人」はとても多いでしょう、ということです。
日本はとくに風土上/宗教上の戒律の縛りを受けないことから、同性愛には比較的寛容な歴史をもってきました。
しかしながら、寛容というのは無関心と紙一重。
異性愛以外の世界を自分の同一線上で見られず、「存在を無視する」「馬鹿にして遠ざける」「別世界だと線を引く」ことでやり過ごしている人はごまんといます。
そういう人たちには、マンガの力ではほとんどリーチできません。
でもテレビではそれができる。
つまり、このドラマを視聴した人は、自分の家族や友人や知人にいるかもしれない、異性愛者ではない人(同性愛者含む)、シスジェンダーではない人(性自認が一致していない人含む)を遠ざけず、身近に引き寄せて考えることができるようになるのかもしれない。
そういう偉業をやってのけた、日本で初めての地上波ドラマが「きのう何食べた?」なのかもしれません。
特に、自分の性自認の相違や異性愛者ではないことに悩んでいる子どもでも大人でもない微妙な年齢の子達に、ものすごく良い影響を与えたことは間違いないと思うんですよ。
2.「おっさんずラブ」が踏み分けられなかった未踏の大地
ちなみに私は、「おっさんずラブ」が放映された2018年は、BL(ボーイズラブ)ドラマ元年だったと考えています。
<弊ブログ記事はこちら↓>
同性愛をうまくファンタジーに昇華するという手腕では素晴らしかったドラマだと思います。
しかしながら作品自体が浮世離れした世界観だったので、 ドラマとして純粋に楽しめるものの、現実感が伴うかというとそうではない構造のドラマでした。
一方で「きのう何食べた?」は原作世界を踏襲してた制作側の狙いで、きちんと現実感が伴う作りにしてきました。
シロさんやケンジの食卓を通じて、彼らと我々視聴者は地続きの世界にいる!と感じさせてくれたのですから、それはもう大成功だったと思います。
「おっさんずラブ」で積み残した現実との向き合い方という課題を、きちんと消化してきたという意味でもほんっとうに素晴らしい。
3.役者の力、制作の力、実写の力。
最終回のシーンで一番良かったの、このショットだと思うんですよ。
その前のバックハグも多幸感溢れてて良かったですけど、このシーンは愛情と営みの尊さと少しのノスタルジー、微量のお色気が、ぜーーーーんぶケンジの背中で語られてました。
第1話から「直接触れあうラブシーンが少ないな」と思ってはいたのですが、最終回こういう形で成就しようとは思わなんだ。
視聴者を信頼して預けにきてくれる、成熟した大人のドラマですね。
出会えて良かったです。そして
2ndシーズン、待ってます!!
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<過去記事はこちら>