単身赴任パパ、ワンオペの母、そして赤ちゃんだった頃の君 <息子と娘への公開書簡 No.05>

ところで2023年4月14日から、ポケモン新シリーズが始まります。

1997年からのサトシ/ピカチュウのレガシーを引き継ぐのは、2人の主人公体制。リコという女の子もいます。なんという現代らしさ!

 

ポケモン好きの息子に聞いたら、Huluで25年の歴史を終えたサトシとピカチュウの最終回を見て感動したそうです。え?いつ見てたの?…いつのまに?漢字やった?

とうずまく母心はいったん横に置いておいて、ほんとに歳月の流れ方の早さのエグいこと!

 

もう色々子育ての記憶が薄れていっている(現在進行形)なので、思いつくままに妊娠前後から子育て3年目ぐらいまでを振り返っておこうと思います。

 

<2011年>

上の子は、東日本大震災の年の夏に生まれた子です。

当時、結婚したすぐあとの2009年から夫には単身赴任してもらっていて、「まー3年ぐらいで帰ってくるだろ」と今思いかえすとかなり甘い見込みでおり、2010年暮れに妊娠が発覚。

あれよあれよとお腹がデカくなり、震災当日は休憩中で、地下2階の食堂なのに据え付けのテレビがぐらんぐらん揺れて落ちてくるかと思いました。そのあと緊急で館の終礼的なのがあって、お腹が大きいまま勤務先から徒歩で、2時間ほどかけて薄暗くなる道をとぼとぼと家に帰ったことを思い出します。

家に一人なのも怖いですが当時は「雨を浴びたら人体に影響がでる」とか「外に出るとヤバい」などの有象無象の情報が跋扈しており、私が判断を誤ったせいでお腹の子になんか障害がでたりすこやかに産まれてこなかったらどうしようとかなりメンタルやられました。このときから情報収集のためにTwitterはじめたんですよね。

 

また、ちょうど区分所有となる住宅購入のタイミングだったので、震災の影響でリフォームに必要なお風呂のパーツを作る工場が被災して在庫が全く無い…などの事情があって、入居できる状態になるまで1-2ヶ月遅れが出てしまい、結局妊娠8-9ヶ月ぐらいで住む場所が不定(その時は実家に帰る判断)の身になったりしていました。

 

単身赴任の夫は、いつもなんだかんだで災難が彼を避けて通る最強のラッキーガイなため、私が「震災で街が灯火制限してて、とにかく真っ暗で東京が怖いんだよ」「コンビニにご飯がなかった、パンもないし、輪番停電の対象地域になるかも」と言っても名古屋にいるのでどうも反応が薄くて、恨めしかったですねえ。今だから言えることですけども。

 

そんなラッキーガイの夫は、息子の入園前には1ヶ月育休という名の有休消化をとってくれたりしていました。2012年段階で育休とりたいと言ってエイヤと休んでしまえる覚悟のある人はものすごく、ものすごく少数派だったため、彼なりにいろいろ苦労したとは思います。そんな顔全然してませんでしたけど。

この時ハイハイしてる時期の息子と家族3人水入らずで沖縄で3週間を過ごせたのは今でも指折りの良い思い出です。ホモサピエンスが死ぬ前に走馬灯のように駆け巡るという脳内再現シーンのうちの一つには、私の場合必ずランクインするでしょう。

 

<2012年>

こうして、息子が産まれて、結局1年間の産休・育休をとって2012年春に仕事復帰したわけなのですが、0歳で保育園に入れたのには理由がありました。当時、まだまだ3歳児神話(クソいので説明はぶきます)とかありましたけど、そこはそれ。

 

ハイ、「待機児童問題」です。

 

これ最近、出生数が減ったことで解消するされてしまい、とんと聞かなくなりました。

でも当時はめちゃくちゃ深刻で、私たちの住んでいる自治体はワースト1の実績を誇ってたところでした。ただ、待機児童はカウントの算出方法も全国で統一されておらず、実態ベースではもっと酷いところもある!とは言われていたものの、サラリーマン父母の場合、持ち点が同点の家庭がズラーっと並ぶため、保育園入園のためにペーパー離婚する家庭がある(持ち点の加点を狙っての行為だけどダメ絶対)とか無いとか、とにかくそんな噂があったほど熾烈だったんですよ。

 

うちは幸いなことに、親が単身赴任だと加点があったので、入園することができました。振り返ると、同じ年に入園したご家庭みてると、別に0歳児クラス(0〜1歳)なら単身赴任の加点が無くても入園できてたような気はします。ただし、1歳児クラス(1〜2歳)の入園は、どこも絶望的でしたね。1最近児クラスは、育休切り上げの加点がないのと、0歳児クラスの人数が繰り上がるため実質入れる枠自体が少ない構図に対して、育休を複数年とった人が一斉に入園申込するので溢れやすいからです。認可外の保育園に預けて持ち点を稼がないと入れないご家庭もザラにありました。

 

「保育園落ちた日本死ね」と、SNSで怨嗟が話題になったのは2016年2月。

anond.hatelabo.jp

ちょうど息子の入園から4年後のことでした。今読んでも共感しかありません。

 

<2013年>

まぁ2012年春から短時間勤務制度を利用しながら、ゆるゆると営業で働かせてもらっていたのですが、自分一人が基本なので、その頃の記憶があんまりありません。その頃から「ワンオペ育児」という言葉があったかどうかも定かでないですし。※調べたらどうも2015年あたりからのようです

 

覚えてるのは、歩道橋などの高いところが異様に怖かったこと。

この頃の移動手段はおもに抱っこ紐だったんですが、歩道橋に登ると「あれ?私、ここから落ちちゃう?息子もいるのに?」と強迫観念みたいのに取り憑かれてしまい視野が狭窄するので、目をうっすら瞑って抜き足差し足忍び足ーでないと渡れない体になってしまっていたんですよね。

今思うと「やべえから休みなよ!」と自分に声をかけてあげたいですが、まぁ年齢が30ちょいと若かったので、体力とエイヤ!と気合でなんとかなってました。ちなみにベランダも怖くて出られなかった。あれは一体なんなんだったんでしょうねえ(虚。

 

ちょっと色々ヤベエので「ユー。君ちょっと、家に帰ってこないか?」と、その時点で単身赴任4年を超えてた夫に、割と真剣に相談しました。夫婦の会話をへて、夫が会社にネゴし、会社には渋い顔されつつもプロジェクト自体は大成功だったので、夫が4年9ヶ月ぶりに家に帰ってきてくれることになりました。安堵。

さらば単身赴任

息子は1歳9ヶ月になってました。

 

この後、夫が帰ってきたタイミングと前後してわたしの仕事で部署異動があり、営業から企画職に変わったりで色々あったんですが、それは別のお話にまとめているので端折ります。

 

<2023年の今、思うこと>

子育てしてきてはや11年目、ひとまわりになろうとしています。

待機児童問題はどこかに消え失せ、コロナ禍でいっきに進んでしまった少子化問題が2023年から大きく予算が割かれるようになり(ところで自分は社会保険料もあがるのは納得いかないので年少扶養控除の復活はよせいや!派)、2022年には男性の育休取得の義務化が法制化されました。

単身赴任の制度を見直す企業も増えてきて、何より体感として、息子と7歳差の娘の保育園の送迎、息子の時より確実にパパが増えましたね。朝は8割がたパパですし、スーツでビシッとお迎えにくるパパも増えましたし、パパが育児に関わってます。

 

まあ裏を返すと家に仕事を持ち帰る人が多くなったということでしょうし、仕事とプライベートの境界は、コロナ禍をへて、どんどん曖昧になってきているように感じます。

SNSが全盛期を迎え、いくらでも時間を費やせる無料の娯楽や誘惑の多い中で、人生100年時代を過ごす私たちは「なにがじぶんにとって大切なのか」を繰り返し、繰り返し、何度も問いながら過ごす必要があるのだと思います。

 

人生は一度きり!YOLO.

まあ肩の力を抜きつつも、あらがって、楽しく生きていきたいですね。そんな話でした。

 

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過去記事はこちら↓

kurihashi64.hatenablog.com

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