遺書ではなく遺言書を/私における中年の危機(2)

ここ半年ほど、自分の人生/命について、何度も何度も考えてきました。

 

あまり外に出すものでもないですが、私の思考の経過が、いつかどこかでなんらかの良いインパクトを誰かに与えることを願って、書き残しておきます。

 

「いきなり何?」という感じですが、実はきっかけといえばきっかけがあります。

 

一昨年ほど前に実母を衰弱死で亡くしたこと。実はかなり心理的にこたえていたのは事実なんですよね、慌ただしくてあまり整理できてなかっただけで、ずっと心の奥底に沈殿していました。

1940年なかばに生まれた母は、時代的に下記が叶えられなかった人でした。

 

・短大ではなく4年制大学に行くこと

・地元を離れて東京に下宿すること

・女性が稼得能力をえて独立すること

 

これらは小さい頃から母に刷り込まれ、「大学にいけるように準備してあるわよ」「(お姉ちゃんたちもそうだから)東京の大学でもOK」「大学を出たら自活できるようにしなさい」と折に触れて示されてきました。

 

2024年からは想像しにくいかもしれませんが、2000年前後に就労した女性のうち、北関東が実家の私の周りでは「東京に出てはいけない、地元で親のそばで暮らし、親の面倒を見るのだ」と、子どもに地元を離れることを許さないご家庭というのがまだまだあったのです。

私の実家のあたりは数世代前まで農業がメインの産業で、1920年代生まれの祖父母は「小作(こさく)」「自作(じさく)」とはっきりと区別して言葉を使っていました。おそらくですが、「労働力」としての子どもの役割が期待されていて、それゆえバンバン子どもをたくさん産んだ時代です。家父家制のもと、家長と次期家長(長男)を中心とした複数世代の家族形態。

子が親元を離れることを許さないというのは、特に女性に強く作用していた慣習でした。

 

その前提を踏まえると、おそらく母は自分の叶えられなかった夢、つまり女性の自立を、娘である私に託したのでしょう。

 

それは良くも悪くも私をしばってきました。

 

 

新卒から勤めた会社を辞めるかどうかを決断するときに、繰り返し繰り返し罪悪感に襲われました。どうしてなのか、一般的な「すでに手にしているものを手放すのは、はじめから与えられなかった場合より、惜しく、手放しがたく感じる」という心理なのかも、はたまた「動物が生き残るための本能として、現状からの変化を避ける性質が備わっているから」等々の理由をつけて整理しようとしましたが、どうしてもしっくりきませんでした。

 

そこで、「(会社を辞めるという決断が結果的に)母の期待を裏切っているから、後ろめたいのだ」という補助線を引いてみると、すんなり胸に落ちて納得することができました。

ただしこれを受け入れるのはとてもとても時間がかかり、辛く、痛みを伴いました。もう一度この一連をやるか?と言われたら断りますし、親と子の関係は、親が亡くなってもこんなに深く楔を打つものなのだ、と呆れました。

キルアの気分です。

 

Hunter × Hunter 冨樫 義博(集英社

母によって受けた「自活せよ」という針は、ここまでの人生で固く、揺るぎなく、私を守ってくれました。

でも、生きている母にはもう会えないし、どちらにせよ母に頼らず、私が、自分自身で、自分のことを決めなければならないのです。そして、それは翻って娘を育てている今にも通じることなのだ、と気づきました。

 

■内省する中で影響を受けた作品

ところで、2024年NHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公もモデルは1914年生まれ、自分の世代以外の女性がどういうふうに生きてきたのか、とても関心をもった1年でした。

特に今年はお姫様ではなく、「自立した女性」像が豊作だった年ではないでしょうか。

 

www.nhk.jp

 

また、「合戦のない大河ドラマ」「初の平安宮廷を描く」という点で歴代初だったといえる、「光る君へ」。前半は見てないのですが、後半は時間もあったので追いかけ視聴しました。

 

『江戸時代における源氏物語の受容』、というのが卒論のテーマだった私にとって、ドラマ上の作劇、権力闘争、浄土信仰(来世、因果)などとても見応えのある作品でした。

一馬力で一家を支える女性(宮中に出仕する女性)と、そうではない女性を対比をもちいながら巧く描き分けていて、その点も現代と平安のクロスオーバーというか、女性の役割や立ち位置の歴史的経過に思いを馳せるというか、非常に考えさせられたりも。

www.nhk.jp

 

また、息子の中学受験でふれた戦後の歴史、特に財閥解体や農地改革、民法改正など、いかに現代に生きる私という人間に影響を与えているのか、おぼろげながら把握できるようになってきました。歴史ってほんと学ぶ価値があります。

 

■私たちはどう生きるか

つい最近ふと思い出したことの中で、ハッとしたことがあります。

新卒入社した会社で当時、採用面接だったかなにかで当時の役員に1on1で話してもらう機会があり、そのなかの雑談ベースで「うちの奥さんがそうなんだけど、どうして女性って歳をとるごとにああ強くなるんだろうね(カカア天下の意)」といったことを話されて、さあなんでなんでしょうねえ。と若い私は返してその場で終わったのですが、それが結構長い間、心に引っ掛かっていました。

 

依存?世間しらず?家庭内での役割(稼得/家事育児)が完全に分かれていることの弊害?など、10数年思い出すたびにいろいろ考えてはみたのですが、おそらくこういうことじゃないかという仮説があります。

 

小倉智昭氏「老後にやろうはダメ」

この記事は「老後にやろうはダメ」という主旨ですが、結局ここに書かれているだけでも小倉さんの配偶者は、「月々夫からもらう分で家庭運営(別財布)」「老後のためにとお金を貯めていた」「(おそらく90近い)親の介護をしている」ということをしています。これは昔ながらの「内助の功」ともいえるかもしれません。小倉氏は直接そのような書き方をしていませんが…

前述の役員や、小倉氏や、私の親のような世代では、「男性が稼いで、女性は家庭を守る」が多数派でしたが、私たちの世代は幸か不幸か、まったく違う時代を生きています。私の仮説はつまりこれで、女性も男性もその時代その場所そのコミュニティでの影響を強く受けるが、それに自覚的になることは少ない、というものです。

 

むしろ、戦前の華族や商家、地主のような生活をおくる専業主婦を養えるほどに社会が大きくなったけれど、それはあくまで時代のなかでの一時的な豊かさだったという、うがった見方もできるほど、驚くほど時代は変わっていきます。

 

ともあれ、私達は共働きがスタンダード世代として、上の世代を直接的に真似られないジレンマを孕みつつ、それでも家族を、自分を養い、生活を営み、子どもの育つ世界を前に進めて次世代に手渡していかなければなりません。そのためには、男女に固定化されていた役割を柔軟にスイッチし対話しながら、柔軟に、生きていく必要があるのではないでしょうか。

 

くたばるにはまだ早い、でも時間は限られていて、休憩とりながらも、まだまだ人生を切り拓いていく。

自分が子どもの時に思ってた40代よりだいぶ若々しくあらねば、ですね。

 

 

◼︎人生の棚卸しが済みつつある今、すべきこと

 

2021年に緊急入院したあと、後悔したことがあります。それは「自分が死んだら家族がどうなるかという想定」を全くしていなかったこと。私が死んだときの経済面での保障がめちゃくちゃ薄かったことに改めて気づいたのです。

夫が亡くなった場合の想定はしていましたが、自分の場合を、お恥ずかしいですがまったく考えていませんでした。。

私が死んだら、夫がしばらくはワンオペで子ども達を育ててることになるでしょう、そんな夫になにも残さないなんて…と暗い気持ちになったこと、そして配偶者を亡くした方から「未成年の子どもがいると遺産分割協議に代理人を立てなければならないので大変」という話を聞いたこと、それらを総合して、遺言書を書くことを決意しました。

※ちなみに遺言書であって、遺言ではないので、自死の心配はご無用です。

 

書いたみたら書いてみたで、スッキリするものですね遺言書。自分の死後に願いを託せる、今の自分を振り返る、よい機会になったと思います。

 

2024年、わたしの星座である双子座は12年に一度の大幸運期です。木星が双子座内に入っているからとされています。

占いと私の実態が裏腹すぎて、現状は「幸運?なにそれ?」という受け止めが正直なところですが、時間を経て10年後に振り返った時に、「あの時があったから今があるんだな」と思えるような時間にしていきたいと思います。

 

まずは無職からの職探し!ゆるゆる自分のペースで進めていきたいものです。

 

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人生の「昼休み」/私における中年の危機(1)

 

願わくば、金継ぎのような人間に。

退職エントリを書く気はさらさらなかったのですが、今年の後半は私の人生の中でもなかなかタフな半年でした。今年を終える前に1年を振り返っておこうと思います。

とても自分語りの内容なので、興味のない方にはおすすめはしません。あしからず。

 

■42歳のリアル(私の場合)

 私の場合、初産が30歳0ヶ月。2011年の全国平均は30.1才だったとはいえ、東京圏においては比較的早めな方だったと思います。当時の産科医には妊娠中に「まぁ20代だからなんとかなる(大丈夫)でしょ」と幾度となく言われたのを思い出します。実際その通りでした。

そして30代を通して、育児と仕事とプライベートでの「皿回し」をやってきました。そこからちょうど、いつの間にやら12年以上が経っていました。干支一周です。

そしてこの度、新卒から19年9ヶ月お世話になった会社を今年いっぱいで去ることにしました。

 

2021年5月から脳静脈洞血栓症を患って今もまだ一部の血栓が残存していること、2023年に実母が衰弱で亡くなったこと、2024年1月まで約3年間 息子の中学受験準備期間があったこと、仕事と家事と育児を皿回ししてるのに加えて上記の要因がさらに乗っかり、最後のトドメに仕事上の諸々が折り重なったことによって私の体と精神とが支えきれなくなった、というのがことの経緯だと思っています。

皿を回すので精一杯で、自分が立ってる場所の日差しが翳ったり、皿回しの皿が増えたことに気づかなかった…といったところでしょうか。うーん我ながら比喩にキレがない笑

 

何故こんなことになったんだっけ?

会社を辞めることになった理由としては、仕事に復帰する条件がうまく整わなかった、というのが実情です。

またその上で、背景や環境面からとことん掘り下げて自省した結論からいうと、はやい話が「中年の危機」、なのではないかと自己分析しています。

2024年の7月から数ヶ月、私の状態は下記のように、だいぶ、傷んでいました。

 

・自分で決める、ができない

 自分が何を望むのか、自分の好悪、捨て去りたいものさえ頭に浮かばない、判断なんてとても無理

・自分が何者なのか分からない、自分に何ができるのかという無力感、自己憐憫、自己弁護に陥りがち

 

このようなさなかで、いろんな人に会ったり、話を聞いてもらいながら、「私って何なんだっけ?」というのを数ヶ月間探ってきました。調子の良い時は本も読みました。でも、分からない

 

ちなみにこの期間にやって失敗したのは「言語化」です。言語化するとそれを分かったことフォルダにアーカイブして処理しようとしちゃうんですよね心理として。でもほんとは腹落ちしてないので処理は動き続けて差分がでてエラーが吐き出される。精神的に処理が複線化してマシン(本体である私)にすごく負担がかかりました。

 

自分が何者か、どこからきて何をなすべきなのか分からないままなんですが、最近は「自分で自分を分からなくても別に良いじゃん」と考えるようになり始めました。自分を過小にも過大にも評価しなければ、ひとまずは気持ちは楽、だと。そしてあわせて「曖昧さ」に耐える強さ、ですね。齢も不惑を超えましたので、ホワイトでもブラックでもない、グレーのグラデーションでもある不確実性を、我が身のうちに飼い慣らす必要をひしひしと感じております。

 

 

ところで、チンパンジーの寿命って、生殖を終えた40歳ぐらいらしいのですよ。ヒト(ホモサピエンス)とDNAの塩基配列が98.8%ぐらい同じなのに、寿命はこんなに違いがあるんですよね。そう考えると、あ、そうか、私は生殖のお役目からは解き放たれたのだ、と景色が変わってなんだかとてもしっくりきます。お勤めご苦労様でした自分。

 

平均余命 令和5年版

https://www.jili.or.jp/lifeplan/lifesecurity/1043.html

さて唐突ですがここで平均余命を見てみましょう。こちらを参照する限り、わたくし今42才なので、おおよそ45年です。ヒッ。。

 

この平均余命が示すのは、つまり「私と同じ年に生まれた42才の人達のうち50%は87歳まで生きるぜ」ってことです。

棺桶に入るまで約45年、健康寿命が10年としてそれを差し引くと35年。ちょっと圧倒されます日和(ひより)ます。人生を24時間で換算すると、慌ただしく午前中を終えて、ちょうど昼食たべてるぐらいの時間ですもの。

 

置かれた場所で咲きなさい」の呪縛

2012年に発刊された230万部ベストセラー、私このタイトルの本を読んだことありません。何故そう思ったのかさえももう自分でもわかりませんが、初めてこの言葉を聞いてからずっと、この言葉が示すものを体現しようとしてきた気がします。

周りを疑わず、まず自分を変えよ、というマインドセット

 

ところが、『「置かれた場所で咲きなさい」は、理不尽に耐えよ、ではない』というのが最近の個人的発見です。

原語は神学者によるもので、Bloom where God has planted you. つまり、「神が与えた使命に応えよ」というカトリック思想に根差したキーフレーズ。異教徒への宣教を宗教者としての務めや使命に組み込む宗教もある、というこの大前提を押さえておかないと、解釈がブレるのです。

話題からは逸れますが、最近、宗教というものを文化とともにイチから捉え直しているところでもあり、個人の解釈としてまぁそうやすやすと教義単独で個人を救済はしてくれないという感触をもちつつあるとはいえ、先人の知恵が詰まった習慣として文化人類学的なアプローチで宗教全般を面白がってはいます。あとは息子のタイミングもあって、世界史をもう一度学び直しているので、エジプトもローマ帝国カトリックプロテスタントも、十字軍もピューリタンも仏教も儒教もどーんとこい。という姿勢にしていきたいものですね。

 

とはいえ、面白がる、というのが非常に難しい一年でした。まぁ今の私の状況が中年の危機的なものだと仮定して、特効薬がないということだけは確実にわかってますので、内省、自省、対話を通じてこの時期を通り過ぎようと思います。先人や先輩がたの話を総合すると、乗り越えようとせず、通過する、受け入れる、のがキモらしいです。

最後に、皆さんに感謝、家族に感謝、そして自分自身にも適度な敬意を持って生きて行こうと思ってます。今後ともよろしくです。

 

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2024終了!わが家の中学受験(35年ぶり2度目)

息子の中学受験がこの春に終わりました。子どものことということもあり、なんでもオープンに自己開示する私があまりオフィシャルにしてこなかった(限られた人としか会話に出してこなかった)のですが、それでもこの3年間は記録に残しておく価値があるし、後で見返すことも多かろう、とブログで残すことにしました。

入学式を終えてすっかり学校に馴染みつつある4月を過ぎて、なるべく子どものプライバシーに配慮しながら、大きくは私個人の立場から見えたことを振り返ってみようと思います。

 

■どの塾に?何年間?それがモンダイだ

中学受験には一般的には3年間必要と言われています。約35年前に夫が受験した頃には2年だったので、1年も増えてるの?と中学受験準備を開始した当初は、拘束が多くて辟易していたのですが、蓋を開けてみれば「やっぱり3年間は必要なんだと思った」と夫が述懐していました。

これには傾向として、出題の難化というよりは、中学受験塾があまりにも傾向と対策を徹底してくるので、上位校側がそういった問題を出さないと受験生を篩にかけられない、という構造があります。いわゆる「数十年前の開成の問題をボリュームゾーンの子が普通に解かされている」というやつです。

ちなみにこれを「フリーレンに出てくるゾルトラーク」に例えてた人を見ましたが天才的ですね。当時は最先端だった魔法が、数十年を経て擦られすぎて陳腐化してしまうというアレです。

 

『葬送のフリーレン』 原作:山田鐘人/ 作画:アベツカサ | 少年サンデー

 

また、中学受験をするかどうか?とそこでまず悩んだり夫婦間で意見が擦り合わせられないといった悩みをもつ方も少なくないようですが、我が家はそこでは迷いませんでした。小学校入学した段階でまず中学受験ありき、が大前提で「塾には行くけど、個別指導とか家庭教師はいらないよね?」が夫婦の合意の出発点。

 

塾の選び方については、通いやすい範囲にいくつか大規模校が林立してるという塾銀座があるので、そこで小3の11月に試験を受けたところに通いました。我が家は共働きなので自習室がある塾が良かったかなあ、とは小5の終わりぐらいまで迷いましたが、まぁどうせ家でもたいして勉強しなかったので、塾が違っても結果は変わらなかっただろうな…と今なら冷静に振り返れます。

ちなみにここまで大上段で語ってきましたが、我が家で中学受験を伴走したのは99%夫です。私の寄与分は1%もないので、そこらへんを念頭に置きつつ軽く読んでください。

 

■2021年組>2022年組>2023年組の順でコロナ禍の影響が大きい

コロナ禍が私たちの生活に影響を与えはじめたのは、2020年3月から。2020年2月に試験を受けた子達はむしろ、春休みの行動制限やいざ入った中学校での制限は大きいものの、受験期にはまったく影響を受けていません。

中学受験に限定すると、2021年組がもっとも影響を受けていて、小6の夏期講習(本来であれば天王山です)が、密を避けるために塾側が動画配信オンリーに踏み切ったために自宅学習がうまく機能してなかったというのは噂として耳に入ってきました。息子の通った塾は、「教室に来て、生の授業を受けること」を中心に据えていましたが、それでもサブ的な位置付けで動画配信をはじめてそれは現在でも続けられるているので、のちのちにも良かった点かもしれません。

一方で公立小学校でもGIGAスクール構想のもとに、急ピッチで1人1端末の整備が進められ、2021年4月にはタブレット(当方の自治体が採用したのはApple社製)が配布されました。

これについてはタブレット利用する子ども達への影響としてかなり功罪があり、語ろうと思うと軽く今回の記事量を凌駕してしまう自信があるので、やめておくことにします。

そして、もともと東京オリンピックめがけて音頭が取られつつあった企業におけるリモートワークの推進も、同じタイミングで爆発的に進みました。一般的には育児や介護する人にとっては通勤時間が取られないリモートワークはありがたいものであったわけですが、特に私の場合はコロナ禍の2021年5月から脳静脈洞血栓症を患いましたので、もし子どもがいなかったとしてもリモートワーク体制が敷かれてなければ仕事は辞めざるをえなかったと思います。

まあ良いタイミングで病気になった、ともいえる訳ですけどね。

 

そのほかに、体感としては、リモートワークで子どもの勉強が見やすくなった父親が多くなったというのもあります。Twitter(現X)でも、パパ垢がたくさんいらっしゃいますので、興味がある方は「中受 202n(nには適宜 受験する西暦を入れてください)」でレッツ検索。

 

■35年前との違い、親がすべきこと

ここまでつらつらと書き綴ってきましたが、胃を直接つかまれるような受験直前期(おもに年末から1月)を経て、親がやっておくべきこと、やらなければならなかったことを痛感しましたので、その経験を置いておこうと思います。

屍を越えていってくださいねウホ。

 

・小6の夏期講習前にはおおよその確度、秋にはほぼ90%の確度で2/1から2/4あたりまでの併願校スケジュールをシナリオ別に用意する必要がある親が最も手をかけるべきはここ

 

・親がすべきなのは学校研究および併願校戦略、自分で中学受験した親世代でさえ曖昧なのが「受験日を2/1午前にのみ設定しているの学校」の多さと、午後受験の選択肢の多さ

 ※中学受験の経験がないご家庭だと想像しにくいですが、2/1しか受験日を設けていない私立上位校がたっくさんあります。大学受験に置き換えるところの国立校の受験みたいなもので、受験日がかぶる国立は複数受けられず、1校に絞る必要がでてきます。大学受験における私立のように、偏差値に近いところを総当たりで1校ずつ受験するということが、中学受験ではできない、というのは早くから想定に置いておくべきでしょう

 

・渋谷のカラスは(もはや)ないし、学世田や慶應中等部は35年前より相対的に偏差値が落ちている、祖父母世代にウケのよしあしがある点は勘案しつつ、学校法人の最新の動向を夫婦双方で頭に入れるべし

 

小学校受験でも話は同じだが、国公立と私立はまったくの別物。出題傾向もそうだが、国公立を受験するなら調査書がいるので、小5から学校の成績で無双する必要があり、課外活動や出席日数も見られる。国公立を少しでも受ける可能性があるなら小4のうちに受験要綱を読み込んでおくべし。ただしお子さんが教科に偏りのない島津くんタイプの優等生なら問題なし

 

・自宅から通える範囲内の学校をすべて洗い出して偏差値問わずに検討する、学校説明会は親のみでもよい、子どもを連れてくなら親が選定した本命校から順番に!!  1回目の印象は11歳の子どもにとっては強烈なのでその効果をうまく利用すべし

 

自宅から通える範囲で、持ち偏差値を下回る学校は特に念入りに研究して、できれば生の声を情報収集するまでがベスト、見落としがちだがこれマジで大切だから2回言うね

※ちなみに持ち偏差値って、中学受験界隈でしか聞いたことないんですが、業界用語かもです

 

◾️親の心理面

中学受験を走り通してみて(いやおもに走ったのは息子と夫なんですけど)、本当にびっくりするぐらいストレスフルでした。受験するのは親じゃないのに。

負荷がかかるということは成長している、もしくは新しい環境に適応しようとしている兆候なのでそう悪くはないのですが、問題は自分ではない人間とどう折り合いをつけるかという一点にあったように思います。

まず、少なくない額の学校外教育費(塾の月謝)を経済的に負担しますので、ギャンブルみがあるというか、サンクコスト効果による揺さぶられが親自身に課されます。

www.shokasonjuku.com

 

次に、組織における評価と似た話ですが、3年間という中長期を走り抜く中で、期待値コントロールが重要になってきます。むろん、大人同士のようにはいきません。客観的な自己分析やメタ認知が未発達な子どもを相手にするので、親側がすべて見越してすべて譲歩しなければなりません。ストレスフル!

期待値コントロールの技術 | サイボウズ式

 

 しかしながら、ここまできてふと、「あれ?子どもって自分のコピーじゃなくて別個体で、尊重すべき個人なんだ」という悟りがおとずれます。上司と部下ではないし、ましてや出資者と事業主の関係でもない。

つまり、自他境界(バウンダリー)をひくことが非常に重要なんですね。

子どもは親の作品ではない、というのを腹落ちするのが中学受験。だから中学受験は親の受験なのだ、という話なのだと解釈しています。

 

ただし、中学受験は競馬に例えるとものすごく腑に落ちるところが多いです。遺伝とか。でもちょっと万人向けではないのでここでは控えます。ご興味ある方は個人的にお尋ねください。

 

◾️参考になった作品・書籍

・中学受験をテーマにした大作、この春完結。励まされる、子ども本人も読める

二月の勝者

bigcomics.jp

 

・塾の比較をするときに、日経デュアルが重宝しました

中学受験基本のキ! 新版 | 日経BOOKプラス

 

・地方出身で高学歴、または子どもに医学部を考えているなら一度は読んだ方がよい。藤沢数希はTwitterもおもしろいです

コスパで考える学歴攻略法 (新潮新書

www.shinchosha.co.jp

 diamond.jp

 

・塾の関係者の本がたくさんあるが、推すならこれ↓かなあ、なにせ業界歴が長いので東京ローカルの人は特に納得しやすい、校風がわかりやすく分類されてるというのでもお役立ち

中学受験で大好きな学校に入ろう (ちくま新書 1764) 

www.chikumashobo.co.jp

 

 ちなみに、中学受験は独自性が高く、よく「演習を複数回回すために複合コピー機が家庭で必要になる」とかまことしやかに言われるのですが、我が家の場合はテキストを一周するのさえ無理なので、小6秋以降に過去問解く時にしかコピー機のお世話になりませんでした…(近所のコンビニで事足りました)。ところでその過去問を出している出版社のYoutubeチャンネルが、過去問の売れ行き状況の昨年対比をもとに情報発信をしており、併願校戦略をたてるときに非ッ常ーに参考になりました。

m.youtube.com

◾️思い出

我が家の場合に限った話ですが、小6の春休みまで家族で旅行にバリバリ行ってました。塾休んでも、あとでプリント配られるし良いかと思いまして。まぁでも気づけばそのプリントも手をつけられずに時の流れにまかせて積まれたまま。おほほ。

全国ほうぼうに旅行に行っても、その地方の歴史や風土気候や地理的特徴や名産物や農産物の収穫量や河川やその源流や算出される天然資源や産業や公害や隣接する地域や旧国名や大名家や藩主やその地でかつて栄えた貿易品や渡来した人物年代出来事を頭に入れられるわけではありません。

そこは期待したほどには記憶に定着しておらず、かずかずの旅行を主催アレンジした夫がたまに激しく嘆いているのを見かけましたが、まぁそれはそれ。スパイラル学習、記憶の定着には繰り返し繰り返しのインプットが必要だってことですね。

 

あと夏休みが山場なのでこそっと自由研究は6月あたりにやっつけたりしてました。

習い事に関していうと、ヴァイオリンは1年間おやすみして、小6の2月の第2週から早速再開。同じように中学受験するお子さんの多いクラスなのでそこは非常に理解がありましたし、他のお子さんでも音楽がよい気晴らしになってるケースもよく聞きました。

 

土曜の朝にもかかわらず、いつも通りに起きて制服を身につけ、7時過ぎには弁当を携えて家を出る息子を、ねぼけまなこで見送りつつ、中学受験して本当に良かったねと夫と頷き合ったり。夫よありがとう。

これから不登校になるかもだし、力不足で留年もしくは公立中に転出するかもしれないし、親とて離婚や死別で私立の学費が払えなくなるかもしれないし、未来はまったく分かりません。ですが、息子中1春のささやかな記録として残しておきたいと思います。

 

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東電OL事件を描いた2003年「グロテスク」(桐野夏生)を2023年に読む理由/ネタバレしかしない

このブログはそんなに全体のアクセス伸びてないのですが、なかには息が長くほそぼそと読まれているものもあり、そのうち一つがドラマ「ロングバケーション」のレビューです。

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90年代に作られたものって、良くも悪くも今webに残ってないので、そういう意味で懐古的な文脈でネットの海を漂った方々が流れ着いてアクセスしてくれてるのではないかと思ってます。ありがたい。

 

ロングバケーションが放送された96年といえば、オウム事件がまだ色濃い影響を社会に与えているなか、初代ポケモン(サトシ・ピカチュウ)のアニメ放映開始があり、薬害エイズ住専問題といった社会背景にくわえ、文化的にはたまごっちや、アムラーやルーズソックスなどの流行がありました。

翌年の97年、2月にセーラームーンの放映が終了し一時代の終焉をむかえます(個人的な感傷)。

東電OL事件は同じ97年3月に起こった事件ですが、同時期に酒鬼薔薇聖斗事件が春先から夏前までセンセーショナルに取り上げられていて、私はほとんど当時のことを覚えてません(まぁ私も犯人も同じく1982年生まれの当時14歳だったということもあります)。

 

今回取り上げるのは、その97年に起こった東電OL事件を下敷きに、フィクションとして2003年に刊行された「グロテスク」という作品です。

 

私は20代前半で読んでるはずなのですが、ちよっと機会があって2023年に読み直してみたら、全然、物語を理解する解像度が違ってました。歳をとるってこういうことか!と。

 

いやー、コロナ禍で源氏物語を角田版で読み直してみたら、「え、若紫って10-12歳で18歳の源氏と出会ったのか」「紫の上って外戚政治全盛の時代に、子なしで正妻扱いだったの?破格じゃん!しかも実家との関係悪くて夫の源氏に依存するしかない構図とか辛すぎ…」「光源氏41歳で、15歳の女三の宮降嫁だと?くるっとる!」「紫の上、亡くなったの40手前?出家したいと望んでたのに晩年が気の毒すぎる…」とまあ、若い頃に読み込んだはずなのに、発見の連続です。

主要な登場人物の歳を自分自身が超えて初めて分かる、若さゆえの過ちやイキり、老いてもさして変わらない人間性など、ほんとにすごい読書体験でした。盛者必衰。

 

話を「グロテスク」に引き戻しますと、東電OL事件の被害者である女性は、1997年(平成9年)に亡くなった当時、39歳でした。当時、センセーショナルに報道されたのは、慶應出身で東京電力という大企業の会社員(経済分野の研究職)という昼の顔と、渋谷・円山町で街に立って直引きすると娼婦という、昼夜の対比が理由だったようです。

当時はマスコミ取材にプライバシーやコンプライアンスが無く面白がって書き立てる時代ですし、そもそも被害者は1986年の雇用機会均等法前に社会人となって18年以上たってるわけで、同期入社に女性が少なく寿退社も当たり前の時代では「アラフォー会社員の女性(総合職)」自体がとても珍しかったこととも関係してるでしょう。

 

「グロテスク」は上下巻に分かれており、上巻は被害者が高校時代を過ごした「Q学園」での生活や出来事と内面描写に、ほとんどの筆が割かれます。被害者女性は実際に、高校から慶應女子に入学して大学まで進んでいるので、この物語に登場するQ学園のモデルは慶應女子高であることがおのずと読者には読み取れるわけですね。

体育の授業で必須のリトミック、小学校・中学校からの内部進学者と高入組との空気感、体育会の幅のきかせ方から同学年だけでなく上下の学年での強固な繋がり。物語で描かれているのは作者による創作、つまりフィクションの世界です。

 

とはいえ、身体的な暴力行為ではないものの、直接手を下さないけど確実にメンタルを削られる言動(語り手のうちの1人である「わたし」はQ学園に高校から入学し孤高を保とうとしたがうまくいかず、体育の授業でクラスメイトに「ダサい、ビンボー」と言われて泣く)でイジメの対象ではあった描写は、多かれ少なかれ、どこの中学高校でも実際にあったことではなかったでしょうか。

 

ふと、さかなクンの「広い海へ出てみよう」を思い出しました。

 

上巻の高校での人間関係の描写に自分の中高時代を重ねて陰鬱な気持ちになりつつもページをめくる手は止まってくれません。下巻を読んでたら、中学校高校の息苦しさの機序そのものズバリを中高の先生(登場人物)に語らせる箇所がありましたので引用します。 

※私立の中高一貫校の科目担任教師は、担任する学年とは別にほかの5学年の科目を教えることも多く、40年ほど勤め上げるので親と子で同じ担任ということもあるほど。毎年度ほぼ同じ内容が同じ人物によって繰り返されるので、そのせいで生徒からすると傾向と対策が非常にたてやすくなります。固有の問題として、ノートの貸し借りという行為が成績つまりテストの出来に直結するようになり、コミュニケーション能力つまり政治力を駆使してノートを貸すよう迫るという押しの強さを内部進学生が外部生に発揮するシーンが多くなるのは、よしながふみ「1限めはやる気の民法」でも描かれています。よしなが先生は71年生まれで都立高校から慶應法学部卒業。

 

▼「グロテスク」下巻P147より引用、生物教師であった木島先生の手紙

生物の個体群というのはとても面白いです。

食物と生活環境さえ整っていれば、個体の数はどんどん増えていきます。このように個体密度が高まることを個体群成長というのはミツル君もよく知っていることでしょう。個体密度が飽和状態を超えれば、今度は個体間の競争が激しくなって、結局は出生率が低下し、死亡率が増加します。個体密度の高まりは、しばしば個体の発育や形態、生理などに影響を与えることは生物学の常識です。(中略)

 

佐藤さんの二重生活も、個体の形質の変化なのではないかと考えたのです。個体密度が高まったというより、同一の生活環境の中に留まる息苦しさ、と言いましょうか。その苦しさが形態の変化を生んだのだと思えてならないのです。(中略)

 

密度が低ければ、生物は単独生活をする孤独相になり、高ければ形態に変化を起こしながら集団で暮らす群生相になる。だけど女生徒の場合は孤独相になり得ない気がしてなりません。生存競争が激しいからです。成績、性格、経済歴な基盤だけならともかく、何よりも容貌という、持って生まれたどうしようもないものが加わるからです。これらが複雑な様相で絡まり、ひとつ勝てば別のもので負けるという激しい競争を起こしていた(略)

語り手であるQ学園の教師の作劇上の役割はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」におけるゾシマ長老といったところでしょうか。

 

タイトルの「グロテスク」は、ルネサンス様式の中の一つである美術様式のグロテスクから発想され、上巻のカンブリア紀の想像図のくだりなどで何度も想起されるように配置されたモチーフなので、物語の主題で「奇妙に変形された肉体」と「人間と生物(を分つものはなんなのか)」であることは間違いありません。

ホモサピエンス=人類を、いかに捉えているかがこの小説のタイトルに回帰していくわけですね。

 

タイトルの付け方にもいえることですが、生物教師の口を借りて、ここまで女性の立場について深く踏み込んで登場人物に語らせることができるのは、桐野夏生その人の技術と、観察眼に裏打ちされた確固たる思想がなしえて届いた頂点です。

まして、舞台装置というか作劇の点でいうと、この物語では被害者をモデルとした「佐藤さん」は主人公ではありません。

 

生まれながらの美をもった「ユリコ/ユリオ」と、頭脳を磨き続けた「ミツル」、悪意で世を渡る「わたし」とあわせた複数の登場人物のうちの1人に過ぎず、彼女たちはQ学園の中高生活のうちのほんの1年ほどに深く交錯しただけで、その後の人生はほとんど交わらずに過ごします。しかし、その「佐藤さん」がなぜQ学園在学中に拒食症に陥り、30代になってから昼と夜との二重生活を送るようになったのかが、他の3人の語りを経て鮮明に、桐野夏生氏の意図を理解できるようになっているんですね。

 

正直、20代で読んだ時とはまったく異なる重さの物語でした。

 

物語の読み手として20代の私から変化があったのは、おそらく私が娘を産んだこともあるでしょうし、もうすぐ思春期を迎える息子を通じて「オスの世界」の輪郭を理解し始めたということもあります。そして、40歳前後って本当になんというか、自分が至ってみて分かりますけど、特に迷いの多い時期ですよね。生殖能力、女性の場合は妊孕性が徐々に失われるからでしょう。

ユリコの息子で、母親の美貌を受け継いだユリオについて、人物造形上の作為で「目が見えない」設定にしたのも作者の意図としては、非常に、非常に業が深い。

 

すこしだけ逸れますが、近年の慶應を頂点とした一貫校をモデルにした創作でいうと、2016年刊行の「あの子は貴族」(山内マリコ)があります。

▼作者/山内マリコ氏のコメント(抜粋)

「下から慶應」がどれだけ特権階級的なステイタスなのか、上京してきた人には感覚としてよくわからない。そういう一部の人たちが、世襲で政治家になって日本を動かすのが「普通」であるのも、地方出身者からすると斬新に思えたのでした。階層の固定化とはこのことか、と。
東京のお金持ちを2年ほど取材して回りましたが、知れば知るほどその世界は、テリトリーも人間関係も狭くてとても保守的。彼ら特有の「地元に居続けてる」感は、わたしがよく知るいわゆるマイルドヤンキー的なものと、根っこの部分は似ている気がしないでもなかったり……。

www.bungei.shueisha.co.jp

 

「あの子は貴族」は、現代に近い分だけもっと物語そのものがライトで、結末にも希望があり、シスターフッドにおける考察は別記事でも書きました。主人公たちが30前後までのストーリーなので、やはり2003年に描かれた「グロテスク」の語り手が40歳を目前にしている年齢という違い、また、抉り出した息苦しさや焦燥感、絶望感とは趣きが異なります。

 

「あの子は貴族」の主人公は実在すると仮定して2023年の今ごろ40歳目前でしょうし、もし「グロテスク」の下敷きになった東電OL事件の被害者が生きていたら、2023年は65歳前後になっているはず。ほぼ親子といってもおかしくないような年齢関係ですね。2作品の違いは、それだけ一貫校を頂点とした社会が、世間が、個人が、絶え間なく変化し続けていることの証でもあります。

「グロテスク」を書いた桐野夏生氏は71歳、近い世代でいうと林真理子氏が69歳、上野千鶴子氏は74歳。一方で、よしながふみ氏は52歳、「あの子は貴族」の山内マリコ氏は42歳。

彼女たちの世代がどのように、1986年の雇用機会均等法から現在までを生き抜いてキャリアを積んだのか。どこかで連続的に振り返ってまとめる機会があれば良いのですが、それはまたの別の機会にしようと思います。

 

とにかく「グロテスク」は、時代を描きながら、時代を超えた名作です、ということが20年の時を経て言いたかったことです。

 

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ちなみに余談ですが、入院した時に気づいた病院の学閥について。

慶應と東大は特に医療系での学閥も強いので、東京に住んでると、街中の病院のロゴの色やデザインを見ただけでなんとなく出身大学が想像ついたりも。

東大出身の方はイチョウのモチーフ使ったり、一方で慶應はペン先という具体的なモチーフを避けつつもインディゴブルーと金の組み合わせを地色にしていたりするので。

 

この色の組み合わせは「グロテスク」のなかで、花形であるチアリーダー部のコスチュームの色としてだけでなく、象徴的な意味をたずさえて出てきますのでお読み飛ばしのなきよう!(ポスターは2015年のもの)

 

さらに余談ですが「ハッピー」が名前に含まれてるクリニックは、東大出身の起業家であり事業オーナーの方(2023年没)がとなえる教義に、開業した先生自身のほかスタッフの皆さんまでがとてもとても忠実な印象ですね。

病院選びの際に参考にしてみてください笑

 

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単身赴任パパ、ワンオペの母、そして赤ちゃんだった頃の君 <息子と娘への公開書簡 No.05>

ところで2023年4月14日から、ポケモン新シリーズが始まります。

1997年からのサトシ/ピカチュウのレガシーを引き継ぐのは、2人の主人公体制。リコという女の子もいます。なんという現代らしさ!

 

ポケモン好きの息子に聞いたら、Huluで25年の歴史を終えたサトシとピカチュウの最終回を見て感動したそうです。え?いつ見てたの?…いつのまに?漢字やった?

とうずまく母心はいったん横に置いておいて、ほんとに歳月の流れ方の早さのエグいこと!

 

もう色々子育ての記憶が薄れていっている(現在進行形)なので、思いつくままに妊娠前後から子育て3年目ぐらいまでを振り返っておこうと思います。

 

<2011年>

上の子は、東日本大震災の年の夏に生まれた子です。

当時、結婚したすぐあとの2009年から夫には単身赴任してもらっていて、「まー3年ぐらいで帰ってくるだろ」と今思いかえすとかなり甘い見込みでおり、2010年暮れに妊娠が発覚。

あれよあれよとお腹がデカくなり、震災当日は休憩中で、地下2階の食堂なのに据え付けのテレビがぐらんぐらん揺れて落ちてくるかと思いました。そのあと緊急で館の終礼的なのがあって、お腹が大きいまま勤務先から徒歩で、2時間ほどかけて薄暗くなる道をとぼとぼと家に帰ったことを思い出します。

家に一人なのも怖いですが当時は「雨を浴びたら人体に影響がでる」とか「外に出るとヤバい」などの有象無象の情報が跋扈しており、私が判断を誤ったせいでお腹の子になんか障害がでたりすこやかに産まれてこなかったらどうしようとかなりメンタルやられました。このときから情報収集のためにTwitterはじめたんですよね。

 

また、ちょうど区分所有となる住宅購入のタイミングだったので、震災の影響でリフォームに必要なお風呂のパーツを作る工場が被災して在庫が全く無い…などの事情があって、入居できる状態になるまで1-2ヶ月遅れが出てしまい、結局妊娠8-9ヶ月ぐらいで住む場所が不定(その時は実家に帰る判断)の身になったりしていました。

 

単身赴任の夫は、いつもなんだかんだで災難が彼を避けて通る最強のラッキーガイなため、私が「震災で街が灯火制限してて、とにかく真っ暗で東京が怖いんだよ」「コンビニにご飯がなかった、パンもないし、輪番停電の対象地域になるかも」と言っても名古屋にいるのでどうも反応が薄くて、恨めしかったですねえ。今だから言えることですけども。

 

そんなラッキーガイの夫は、息子の入園前には1ヶ月育休という名の有休消化をとってくれたりしていました。2012年段階で育休とりたいと言ってエイヤと休んでしまえる覚悟のある人はものすごく、ものすごく少数派だったため、彼なりにいろいろ苦労したとは思います。そんな顔全然してませんでしたけど。

この時ハイハイしてる時期の息子と家族3人水入らずで沖縄で3週間を過ごせたのは今でも指折りの良い思い出です。ホモサピエンスが死ぬ前に走馬灯のように駆け巡るという脳内再現シーンのうちの一つには、私の場合必ずランクインするでしょう。

 

<2012年>

こうして、息子が産まれて、結局1年間の産休・育休をとって2012年春に仕事復帰したわけなのですが、0歳で保育園に入れたのには理由がありました。当時、まだまだ3歳児神話(クソいので説明はぶきます)とかありましたけど、そこはそれ。

 

ハイ、「待機児童問題」です。

 

これ最近、出生数が減ったことで解消するされてしまい、とんと聞かなくなりました。

でも当時はめちゃくちゃ深刻で、私たちの住んでいる自治体はワースト1の実績を誇ってたところでした。ただ、待機児童はカウントの算出方法も全国で統一されておらず、実態ベースではもっと酷いところもある!とは言われていたものの、サラリーマン父母の場合、持ち点が同点の家庭がズラーっと並ぶため、保育園入園のためにペーパー離婚する家庭がある(持ち点の加点を狙っての行為だけどダメ絶対)とか無いとか、とにかくそんな噂があったほど熾烈だったんですよ。

 

うちは幸いなことに、親が単身赴任だと加点があったので、入園することができました。振り返ると、同じ年に入園したご家庭みてると、別に0歳児クラス(0〜1歳)なら単身赴任の加点が無くても入園できてたような気はします。ただし、1歳児クラス(1〜2歳)の入園は、どこも絶望的でしたね。1最近児クラスは、育休切り上げの加点がないのと、0歳児クラスの人数が繰り上がるため実質入れる枠自体が少ない構図に対して、育休を複数年とった人が一斉に入園申込するので溢れやすいからです。認可外の保育園に預けて持ち点を稼がないと入れないご家庭もザラにありました。

 

「保育園落ちた日本死ね」と、SNSで怨嗟が話題になったのは2016年2月。

anond.hatelabo.jp

ちょうど息子の入園から4年後のことでした。今読んでも共感しかありません。

 

<2013年>

まぁ2012年春から短時間勤務制度を利用しながら、ゆるゆると営業で働かせてもらっていたのですが、自分一人が基本なので、その頃の記憶があんまりありません。その頃から「ワンオペ育児」という言葉があったかどうかも定かでないですし。※調べたらどうも2015年あたりからのようです

 

覚えてるのは、歩道橋などの高いところが異様に怖かったこと。

この頃の移動手段はおもに抱っこ紐だったんですが、歩道橋に登ると「あれ?私、ここから落ちちゃう?息子もいるのに?」と強迫観念みたいのに取り憑かれてしまい視野が狭窄するので、目をうっすら瞑って抜き足差し足忍び足ーでないと渡れない体になってしまっていたんですよね。

今思うと「やべえから休みなよ!」と自分に声をかけてあげたいですが、まぁ年齢が30ちょいと若かったので、体力とエイヤ!と気合でなんとかなってました。ちなみにベランダも怖くて出られなかった。あれは一体なんなんだったんでしょうねえ(虚。

 

ちょっと色々ヤベエので「ユー。君ちょっと、家に帰ってこないか?」と、その時点で単身赴任4年を超えてた夫に、割と真剣に相談しました。夫婦の会話をへて、夫が会社にネゴし、会社には渋い顔されつつもプロジェクト自体は大成功だったので、夫が4年9ヶ月ぶりに家に帰ってきてくれることになりました。安堵。

さらば単身赴任

息子は1歳9ヶ月になってました。

 

この後、夫が帰ってきたタイミングと前後してわたしの仕事で部署異動があり、営業から企画職に変わったりで色々あったんですが、それは別のお話にまとめているので端折ります。

 

<2023年の今、思うこと>

子育てしてきてはや11年目、ひとまわりになろうとしています。

待機児童問題はどこかに消え失せ、コロナ禍でいっきに進んでしまった少子化問題が2023年から大きく予算が割かれるようになり(ところで自分は社会保険料もあがるのは納得いかないので年少扶養控除の復活はよせいや!派)、2022年には男性の育休取得の義務化が法制化されました。

単身赴任の制度を見直す企業も増えてきて、何より体感として、息子と7歳差の娘の保育園の送迎、息子の時より確実にパパが増えましたね。朝は8割がたパパですし、スーツでビシッとお迎えにくるパパも増えましたし、パパが育児に関わってます。

 

まあ裏を返すと家に仕事を持ち帰る人が多くなったということでしょうし、仕事とプライベートの境界は、コロナ禍をへて、どんどん曖昧になってきているように感じます。

SNSが全盛期を迎え、いくらでも時間を費やせる無料の娯楽や誘惑の多い中で、人生100年時代を過ごす私たちは「なにがじぶんにとって大切なのか」を繰り返し、繰り返し、何度も問いながら過ごす必要があるのだと思います。

 

人生は一度きり!YOLO.

まあ肩の力を抜きつつも、あらがって、楽しく生きていきたいですね。そんな話でした。

 

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過去記事はこちら↓

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セーラー世代によるシスターフッド元年 素人女性誌ウォッチャーによる2022年ワーキングマザー誌短評

 

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私のブログの中では、アクセスいただいている部類に入る、素人女性誌ウォッチャーのシリーズ。2019年から1年に1本ずつ書いてきました。

 

▼2021年

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▼2020年

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▼2019年春

kurihashi64.hatenablog.com

▼2019年

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全部で4本、こちらを含めると5本目になりますが、こちらを最終にしようと思ってます。

 

なぜなら最近、こう、なんというか、マテリアルガールを卒業したんですよ私。物質的な豊かさよりも、スピリチュアルとか無農薬野菜とか農業に興味があって。いや、嘘です。

 

 

 

本音はこうです。

「子どもの数学の成績よりも、着たいワンピのことを考えたい!」というキャッチコピー(コラではなく、れっきとした光文社STORY2022年7月号の表紙)。

これを私流にアレンジするなら「子どもの算数の出来より、着たい着物コーディネートを妄想したい!」といったところでしょうか。

 

とにかくコロナ禍を経て、自分のわがままボディがふくよかさを増したこと、健康をすこしばかり損なった経験、出勤状況に比してオフィスカジュアルの服が有り余っていること、かといって少し気張ったおでかけシーンがぐっと減ったことによりハレの服が必要ない状況、そもそも服に費やす予算減り、そしてもともとミニマルファッションが好き…など複数の要素が功を奏してしまったのでしょう、すっかり洋服や身につけるものへのあつーい気持ちが平常体温まで冷めてしまいました…。

 

かといって、衣服にかけてる予算がそれほど減ってない(なぜだろう…自問)のは、アウトドアブランドのジャケットやギアを買っていたり、和装小物を買っていたり、娘のものを買ったりするからなんですよね。より正確に言うと、興味のあるジャンルがvery等の女性誌に掲載されてるもの、シーン毎にふさわしいおでかけワンピースや学校に行くとき素敵に見えるママのファッション、的なものから離れはじめた…というのが大きいです。

あとはVeryの誌面に登場する女性が、世代ひとつ下になりはじめたって現実問題もありますね。私は小室哲哉およびつんくアムロちゃんエビちゃん世代なので、おニャン子にしろAKBにしろ坂道系にしろ秋元康が関わったアイドルプロジェクトの方が出てきてもあまりそそられない、というかVeryという雑誌のターゲット年代から外れたのをヒシヒシと感じます。

 

私の場合、自分の興味の範囲内のウォッチ対象としてブログ記事を書いてるので、それが他のものに移り、また自分がターゲットでない雑誌はそれほど重くチェックしないので、書けるほどの情熱と分量が出せない、という現実的な事情もあってブログには書いてなかったのです。

 

しかしながら、まぁ少なくとも、今回の記事に関してはあつい気持ちで書きたいことがあるんですよ。前置き長い。

 

はい。それは、ほぼ初めて女性誌に登場したんじゃないでしょうか、Veryが裏テーマ的にかかげていると思しきシスターフッドです。

ブラザーフッドじゃないですよ、マリア様に連なるシスターでもないです、すこし女性運動で手垢がついた言葉ですが、この記事ではシスターフッドは「女性同士のゆるやかな連帯、助け合い」を示すものとしてお読みいただければ。

 

時は1992年、セーラームーンがアニメ放映開始されたのを覚えてますか?

話は飛躍するのですが、つながりますのでしばし耐えてください。

漫画自体は「なかよし」に連載され、アニメは1992年から1997年まで放映されました。今ではプリキュアはじめ当たり前の美少女アニメですが、戦う少女達ってそれまでは美少女仮面ポワトリンがせいぜいだったんですよ。

個人的な思い出としては、アニメ放映第1回を家で見てたら「なにこれ?こんなの見てるの?」と10歳上の姉に煽られたのを思い出します。それぐらい、世代によっては受け入れがたい、挑戦的な作品だったように思います。

一応王子様(タキシード仮面様)はでできますが、基本的に、中学生の女の子達が、仲間と力をあわせて悪の組織と戦う話です。男の子メインの中のにぎやかし要因としての女の子でもなく、魔法やファンタジーに振り切ってもいないし、実際戦闘で怪我したりすることもある武闘シーンもあった。

自分達で決めて、自分達で戦う女の子。

そんで92-97年のその頃、オタク属性は秘すべき趣味だったので、今のプリキュアに群がる「大きいお友達」(男性の女性声優オタ)もいるにはいたけど、もっと密やかに良識をもって活動してらしたようで、メインターゲットである女児のセーラー戦士達への憧れをぶち壊すようなことはしてなかったわけです。1989年にシリアルキラー宮崎勤氏が世を騒がせていたので、とてもそんな公にできるご趣味でもなかった…というのが現実ですが

※ちなみにエヴァのアニメ放映は1997年

 

アニメ放映当時、セーラームーンに熱狂した世代は、80年代後半から90年代初頭にかけて生まれた子達なので、今は30代、ずばりVeryの2022年の購買ターゲット世代にあたります。

 

遡りますがVeryのカバー(表紙)モデルは、井川遥(1976年生まれ)を経て、その後読者モデル出身の滝沢眞規子(1978年から)が3年間つとめてその後「Navy」というVery本誌の別冊扱いの新雑誌に専属モデルとして移っており、2019年12月号からは本職のファッションモデルである矢野未希子(1986)がつとめていました。古くは「基盤のある女性」と、家庭あり子持ちを雑誌の購読層に掲げていたVery としては初の、お子さんがいないカバーモデル矢野未希子の起用ということで2019年もろもろ驚きもありましたが、その後2021年12月号をもって彼女は2年間のカバーモデルを終了されました。

 

次のカバーモデルは誰かしら?と思いつつ、ウォッチャーとしては「シンマイさんが妥当なのに…、とはいえ経営者という本業のある人だもの雑誌撮影に拘束されるのは無理だろうな…」と素人目に分析してたものです。

その後、2022年1月号にシンマイさんが登場したときはびっくりしました。

その翌号である、2022年2月号のカバーモデルが東原亜希さんで、さらに2度びっくり。

その後、やっと事情が飲み込めたのですが、シンマイこと申真衣さんと、東原亜希(1982)が二人体制で、交互に表紙モデルを務める、というとてもイレギュラーな、そして働くお母さんという当事者目線では実に合理的な座組みをVery編集部が採用した、ということです。

いやー画期的!

https://veryweb.jp/column/333706/

これは、これまでの表紙を務める専属モデル(Veryの表紙を飾るモデルは競合他誌の表紙を務めることがこれまでありませんでした)に、憧れをもたせられる豊かな女性像を象徴させていた女性誌の常識を大きく変えた方針転換だと思います。

というか、専属モデルを要するぐらいの規模だった媒体として、ワンアンドオンリーであるからこそ下さなければならなかった決断とも言えるのでしょう。

シンマイさんに本業の責任の重さゆえにモデル業へアサインする時間的上限や制約があったのでしょうし、東原亜希さんは年齢的にVeryのターゲット年代ギリギリであるものの、四児の母としてだけではなく、夫である井上康生さんと良き夫婦、良き親としてメディアや媒体に出られる面や素直な語り口なども魅力的です。

候補を一人に絞りきれなかったのか、どうしても起用したいシンマイさんの条件を飲んだ形なのか編集部の思惑はうかがいしれませんが、結果としてダブル表紙モデル体制は、非常に現代的。なおかつセーラームーンを見て育った世代にも「お互いを支えあうシスターフッドのナラティブな面も含めて、読者に響いたのではないでしょうか。

 

1970年代なかば、「セーラー服を脱がさないで」と男性が書いた歌詞を、素人っぽさが売りの女性アイドルが歌うという時代も存在していました。そんな中1991年からなかよしで連載開始し、セーラー服は客体化されたコスチュームではなく、自分達の体の延長戦上であり、それを纏ったまま戦うことも愛することもできるのだ!とマンガで少女達に示した竹内直子先生の、なんと素晴らしいことでしょう。

あまつさえ、セーラーウラヌスである天王はるかを原作通りに登場させ、緒方恵美の声でもって受肉させてその姿をみちるさんと一緒に地上波に示したアニメ製作陣の偉業に、心から敬意を表したい(早口)。

昔から「女の嫉妬はコワーイ」と女同士の関係を嫉妬などの単純な感情で凝り固まった姿で取り上げられ続けてきた、これまでのフィクションやドラマの中と対比して、セーラー戦士のように、お互いを助け合って現実に対処する、そういった世代が実際に出てきました。

 

アラフォーの私は感無量です。

 

2022年に公開された、山内マリコの「あのこは貴族」の中でも、主人公の女性二人は、一人の男性をめぐって交錯しますが、嫉妬ではない、それぞれの道を指し示してくれました。

時代はそのように、私たち女性にとってよい方に動いている、動き続けている人達がいる。そういった希望を与えてくれます。

ありがとう、Very。

30代の私を支えてくれて。

たぶんもうターゲット外だけどこれからは自分ごとではなく、娯楽として、次の世代の希望として、女性誌を読み続けます。

医薬品副作用被害救済制度から見る、「脳静脈洞血栓症」になった話

ところで、星野源さんは2012年にくも膜下出血で倒れ、手術入院されたときの経験を「よみがえる変態」(文春文庫)で書き記しています。

彼は脳外科、私は脳血管ですが、頭の痛みの表現にはとっても相通じるところがあり、読んでるだけで痛みが再現されるほどの筆致。

音楽映像だけじゃなくて、才能の塊かよ。星野氏にはクレーム申し上げたい。

 

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回復後、星野源さんのその後のご活躍は誰もが知るところ。

私自身、病後の復活および活躍にあやかりたいと思いつつ、無理はしない範囲で「死んだと思ってたら残機あった1UPキノコ」の精神でこれからも生きて励んで参りたいと存じます(キリッ)。

 

2021年5月に入院・手術した、脳静脈洞血栓症。その後通院、服薬しつつ過ごしています。まだ全快ではないものの、8ヶ月後の2022年2月現在ではほとんど日常生活を取り戻しており、仕事もプライベートも気ままにやらせていただいております。幸せ。

 

今回は、

医薬品副作用被害救済制度

について、私自身が経験したことをまとめていきます。

 www.nta.go.jp

 

 

まずは簡単に経緯を。

私は10代から生理が重く、長男出産し仕事復帰後に「やばい。息子になんの非も無いのに生理前イライラしすぎる。このままだと手が出るかも…」という危惧を感じ、婦人科にPMS(生理前症候群)による不調の軽減のために、ピルを処方してもらっていました。

娘の出産後も仕事復帰前にあわせて服用を再開したので、そういう意味では私のキャリアと子育てを30代通して支えてくれたお薬で、ピルには非常に感謝しています。副作用被害のあともその思いは変わっていません。

 

今回私が入院手術した、脳静脈洞血栓症は、ピル(バイエル社のヤーズフレックス)服用の副作用によるものです。

 

ピルを処方の際も副作用については医師からきっちり説明を受けてます。しかし、ま、さ、か、自分の体にその、副作用が起こりうるってのは雲をつかむような気持ちだったんですよね。後から調べたところ10万人におよそ9人ほどの発生とされ、あまりの確率に「0.009%になるなんて…」と感慨に耽ってしまいます。宝くじかよ。今ギャンブルやったら勝てるんじゃ?

 

とはいえ、下記のwebサイトにもあるように、副作用ってのは薬を正しく使っていたとしても絶対に無くすことのできないもの、なんですなー。だからこそこういった救済制度ができたわけで。

 www.pmda.go.jp

 

また、副作用で入院するほど重篤になるケースってなかなか世に少ない例と思いますので、そういった意味からも私の個人的な事例をまとめておこうと思った次第であります。

 

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入院中(2021年5月)

薬の副作用ならこういう制度あるよ、と夫の知人に教えてもらい情報収集開始。主治医の先生に相談。

 

8月5日

退院後2ヶ月強、副作用被害救済制度に申請するために用意していた書類が整ったので投函。

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1)手術した脳血管内科の主治医による所見

2)ヤーズを処方したかかりつけ婦人科の医師による投薬経緯

3)本人による申請書類

上記3点のうち、1は入院中にお願いできたのだが、2は回復してから自分でかかりつけ医に診察してもらわねばならずこれが地味に辛かった…。

たぶん一番大変だったのは1で、手書きでびっしりと書類を埋めてくれたのとMRI等裏付けとなるデータを用意してくれたの本当に大変だったと思う。当時の主治医に感謝。

 

8月18日

不備を知らせる書類が書留で届いたので、書き漏らしてたところを補って投函。

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この後、夏休みで飛行機を利用する予定があり、事前の確認で医師に問題ないとは言われてたものの「血管大丈夫なんかな?」とドギマギしつつフライトへ。頭は相変わらず痛いけど、行動範囲が狭まらないということで、結果オーライ!

「まさかダイビングとかはまずいですよね?」って聞いた時の主治医の顔で、察した()ので、しばらく潜水は控えます…。息子がやっと10歳なので一緒に潜れるのだがやむをえん。。

 

9月12日

受理そのものはされたというお知らせ。

追加資料と承諾書を書いて返送。投函。

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10月12日

補足資料を、主治医と処方医それぞれに回答してもらったので、これにて書類の工程は終了。審議へ。

主治医は秋の異動タイミングで経験積むために別の病院に移るということだったので、ここまでお付き合いいただいてありがたし。

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2022年1月14日

審議に入ってから約3ヶ月、医療費・医療手当決定通知書が郵送されました。

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これでやっと!

副作用被害が認められたんだわ、というはれがましい気持ち。いや、よくよく考えるとめでたいことでは無いんですが、ワクチン含めて昨今は副作用の話が海千山千なので、こういう合理的な裏付けがあるってのはなんか肯定されたような感傷的な気持ちになるもんですね。

これは自分でも不思議。

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以上、医療品副作用被害救済制度を利用した個人的所感と記録でした。

日常生活はほぼ以前と変わらないまでに戻ったと冒頭に書きましたが、まだ血栓が全て無くなったわけではないため、いわゆる「血液をサラサラにする薬」を服用中。内出血・下血含めて出血すると血が止まりにくい、ということだけ気をつけて生活を送っています。スキーはさすがに控えたり、怪我しかねない動きは避けるようにしたり。

 

生理に関してはいまだ重く耐え難い…。

ヤーズフレックスは飲めなくなったので、PMS軽減を目的にしたお薬としては、ジェノゲストを服用しています。血液サラサラお薬を卒業したら、ミレーナ入れたいなあと思って婦人科のかかりつけ医に継続的に相談中です。

これからも薬とうまく付き合っていくつもり、なのは変わりません。

 

<入院編はこちら>

 kurihashi64.hatenablog.com

 

<退院後編はこちら>

kurihashi64.hatenablog.com