ここ半年ほど、自分の人生/命について、何度も何度も考えてきました。
あまり外に出すものでもないですが、私の思考の経過が、いつかどこかでなんらかの良いインパクトを誰かに与えることを願って、書き残しておきます。
「いきなり何?」という感じですが、実はきっかけといえばきっかけがあります。
一昨年ほど前に実母を衰弱死で亡くしたこと。実はかなり心理的にこたえていたのは事実なんですよね、慌ただしくてあまり整理できてなかっただけで、ずっと心の奥底に沈殿していました。
1940年なかばに生まれた母は、時代的に下記が叶えられなかった人でした。
・短大ではなく4年制大学に行くこと
・地元を離れて東京に下宿すること
・女性が稼得能力をえて独立すること
これらは小さい頃から母に刷り込まれ、「大学にいけるように準備してあるわよ」「(お姉ちゃんたちもそうだから)東京の大学でもOK」「大学を出たら自活できるようにしなさい」と折に触れて示されてきました。
2024年からは想像しにくいかもしれませんが、2000年前後に就労した女性のうち、北関東が実家の私の周りでは「東京に出てはいけない、地元で親のそばで暮らし、親の面倒を見るのだ」と、子どもに地元を離れることを許さないご家庭というのがまだまだあったのです。
私の実家のあたりは数世代前まで農業がメインの産業で、1920年代生まれの祖父母は「小作(こさく)」「自作(じさく)」とはっきりと区別して言葉を使っていました。おそらくですが、「労働力」としての子どもの役割が期待されていて、それゆえバンバン子どもをたくさん産んだ時代です。家父家制のもと、家長と次期家長(長男)を中心とした複数世代の家族形態。
子が親元を離れることを許さないというのは、特に女性に強く作用していた慣習でした。
その前提を踏まえると、おそらく母は自分の叶えられなかった夢、つまり女性の自立を、娘である私に託したのでしょう。
それは良くも悪くも私をしばってきました。
新卒から勤めた会社を辞めるかどうかを決断するときに、繰り返し繰り返し罪悪感に襲われました。どうしてなのか、一般的な「すでに手にしているものを手放すのは、はじめから与えられなかった場合より、惜しく、手放しがたく感じる」という心理なのかも、はたまた「動物が生き残るための本能として、現状からの変化を避ける性質が備わっているから」等々の理由をつけて整理しようとしましたが、どうしてもしっくりきませんでした。
そこで、「(会社を辞めるという決断が結果的に)母の期待を裏切っているから、後ろめたいのだ」という補助線を引いてみると、すんなり胸に落ちて納得することができました。
ただしこれを受け入れるのはとてもとても時間がかかり、辛く、痛みを伴いました。もう一度この一連をやるか?と言われたら断りますし、親と子の関係は、親が亡くなってもこんなに深く楔を打つものなのだ、と呆れました。
キルアの気分です。
母によって受けた「自活せよ」という針は、ここまでの人生で固く、揺るぎなく、私を守ってくれました。
でも、生きている母にはもう会えないし、どちらにせよ母に頼らず、私が、自分自身で、自分のことを決めなければならないのです。そして、それは翻って娘を育てている今にも通じることなのだ、と気づきました。
■内省する中で影響を受けた作品
ところで、2024年NHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公もモデルは1914年生まれ、自分の世代以外の女性がどういうふうに生きてきたのか、とても関心をもった1年でした。
特に今年はお姫様ではなく、「自立した女性」像が豊作だった年ではないでしょうか。
また、「合戦のない大河ドラマ」「初の平安宮廷を描く」という点で歴代初だったといえる、「光る君へ」。前半は見てないのですが、後半は時間もあったので追いかけ視聴しました。
『江戸時代における源氏物語の受容』、というのが卒論のテーマだった私にとって、ドラマ上の作劇、権力闘争、浄土信仰(来世、因果)などとても見応えのある作品でした。
一馬力で一家を支える女性(宮中に出仕する女性)と、そうではない女性を対比をもちいながら巧く描き分けていて、その点も現代と平安のクロスオーバーというか、女性の役割や立ち位置の歴史的経過に思いを馳せるというか、非常に考えさせられたりも。
また、息子の中学受験でふれた戦後の歴史、特に財閥解体や農地改革、民法改正など、いかに現代に生きる私という人間に影響を与えているのか、おぼろげながら把握できるようになってきました。歴史ってほんと学ぶ価値があります。
■私たちはどう生きるか
つい最近ふと思い出したことの中で、ハッとしたことがあります。
新卒入社した会社で当時、採用面接だったかなにかで当時の役員に1on1で話してもらう機会があり、そのなかの雑談ベースで「うちの奥さんがそうなんだけど、どうして女性って歳をとるごとにああ強くなるんだろうね(カカア天下の意)」といったことを話されて、さあなんでなんでしょうねえ。と若い私は返してその場で終わったのですが、それが結構長い間、心に引っ掛かっていました。
依存?世間しらず?家庭内での役割(稼得/家事育児)が完全に分かれていることの弊害?など、10数年思い出すたびにいろいろ考えてはみたのですが、おそらくこういうことじゃないかという仮説があります。
この記事は「老後にやろうはダメ」という主旨ですが、結局ここに書かれているだけでも小倉さんの配偶者は、「月々夫からもらう分で家庭運営(別財布)」「老後のためにとお金を貯めていた」「(おそらく90近い)親の介護をしている」ということをしています。これは昔ながらの「内助の功」ともいえるかもしれません。小倉氏は直接そのような書き方をしていませんが…
前述の役員や、小倉氏や、私の親のような世代では、「男性が稼いで、女性は家庭を守る」が多数派でしたが、私たちの世代は幸か不幸か、まったく違う時代を生きています。私の仮説はつまりこれで、女性も男性もその時代その場所そのコミュニティでの影響を強く受けるが、それに自覚的になることは少ない、というものです。
むしろ、戦前の華族や商家、地主のような生活をおくる専業主婦を養えるほどに社会が大きくなったけれど、それはあくまで時代のなかでの一時的な豊かさだったという、うがった見方もできるほど、驚くほど時代は変わっていきます。
ともあれ、私達は共働きがスタンダード世代として、上の世代を直接的に真似られないジレンマを孕みつつ、それでも家族を、自分を養い、生活を営み、子どもの育つ世界を前に進めて次世代に手渡していかなければなりません。そのためには、男女に固定化されていた役割を柔軟にスイッチし対話しながら、柔軟に、生きていく必要があるのではないでしょうか。
くたばるにはまだ早い、でも時間は限られていて、休憩とりながらも、まだまだ人生を切り拓いていく。
自分が子どもの時に思ってた40代よりだいぶ若々しくあらねば、ですね。
◼︎人生の棚卸しが済みつつある今、すべきこと
2021年に緊急入院したあと、後悔したことがあります。それは「自分が死んだら家族がどうなるかという想定」を全くしていなかったこと。私が死んだときの経済面での保障がめちゃくちゃ薄かったことに改めて気づいたのです。
夫が亡くなった場合の想定はしていましたが、自分の場合を、お恥ずかしいですがまったく考えていませんでした。。
私が死んだら、夫がしばらくはワンオペで子ども達を育ててることになるでしょう、そんな夫になにも残さないなんて…と暗い気持ちになったこと、そして配偶者を亡くした方から「未成年の子どもがいると遺産分割協議に代理人を立てなければならないので大変」という話を聞いたこと、それらを総合して、遺言書を書くことを決意しました。
※ちなみに遺言書であって、遺言ではないので、自死の心配はご無用です。
書いたみたら書いてみたで、スッキリするものですね遺言書。自分の死後に願いを託せる、今の自分を振り返る、よい機会になったと思います。
2024年、わたしの星座である双子座は12年に一度の大幸運期です。木星が双子座内に入っているからとされています。
占いと私の実態が裏腹すぎて、現状は「幸運?なにそれ?」という受け止めが正直なところですが、時間を経て10年後に振り返った時に、「あの時があったから今があるんだな」と思えるような時間にしていきたいと思います。
まずは無職からの職探し!ゆるゆる自分のペースで進めていきたいものです。
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