年の瀬になるとベートーベンの第九がコンサートのプログラムに選ばれるのは、日本特有の現象らしいですね。
先日、こんなTweetを目にしました。
テレビでN響&ヤノフスキの第九を聞く予定の方へ。プログラムにヤノフスキのインタビューがあり、そこで彼が第九の中で最も大事な部分は第3楽章のココ、と言っている。特に譜面の四角で囲んだ部分が「神」と。ほんと大事に大事に演奏していた。 pic.twitter.com/RZhpPLVq5n
— Shoko Egawa (@amneris84) 2018年12月24日
最初、意味がよくわかりませんでした。
もともと第九自体、00:52からはじまる合唱付の第4楽章が有名ですし、エヴァンゲリオンをご覧になった方はさらに後半が好きでしょう。
00:35過ぎで第2楽章が終わり、まったりと始まる第3楽章の、気づかないぐらいの地味な箇所です。
第3楽章24小節目、動画でいうと00:38のあたり。
なぜこの部分なのか?
お時間ある方はクラリネットの主旋律と弦楽器のリズムの支え方と和声に注目しながら聞いてみてください。
シカゴフィルのムーティでどうぞ。
私の場合3回聞いてやっとわかりましたが、ものすごく繊細に、用心深く、転調が行われているんですよこの該当箇所で。ここで鳥肌というか、恍惚とした滑らかさというか、思わず目をつぶって神に祈りたくなるような、快感の向こう側の感覚が背中から首筋へと湧き上がってくるように仕掛けられているんですよね。
ベートーベンが譜面の向こう側から語りかけてきてます。
痺れる脳髄。鼻の奥がツーンとしてきた。
ここではたと気づいたのですが、この感覚を共有したくて息子にヴァイオリンを弾いて欲しかったんです私。
唐突ですみません。
ここでちょっと私のヴァイオリン歴について語らせてください。
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私がスズキメソード(才能教育)でヴァイオリンを弾いていたのは3〜18歳。
家政科出身で幼児教育に興味を持っていた母が、自分に音楽の経験がないにもかかわらずえいやっと長女を通わせ始めたのがきっかけだそうです。
3姉妹の末っ子である私は、姉2人が弾いている姿に憧れて個人レッスンに通うようになり、マイペースながら約15年間続けることができました。途中10歳ぐらいから弦楽アンサンブルに参加し、時々オーケストラの隅っこで弾いたりさせてもらうこともありました。
個人レッスンはまったりとのびのびやらせてくださった先生のおかげでなんとか続けられたようなものですが、私をそのあとの人生でもクラシック音楽から離れられないようにしたのは、おそらくオーケストラの経験です。
自分1人で弾いている時、弦楽アンサンブルで弾いてる時にもごく稀に「あーここ気持ちいいなあ」と上記のような感覚が降りてくるときがありましたが、オーケストラはその頻度と回数が半端ではないのです。
特に、2ndヴァイオリンのときが位置的に一番うまいこと音楽を浴びられるんですよ。
指揮者もほぼ正面で正対できるし、背面から金管及び打楽器がバランスよく聞こえます。自分が主旋律を弾いてなくても、美しい朝焼けや雄大な山々を見るような、大きな音楽の中に包まれるような眩しい感覚に支配されることがありました。
(ちなみにそういう瞬間が訪れたとき、ほとんど楽譜をみてません笑。駄目ですね)
大人になってもこの感覚を忘れたことはありませんし、プロの演奏家やオーケストラの演奏会に行ったりするとなぜか涙腺が崩壊してしまうこともあります。こういう瞬間は、周囲には誰も何も存在せず、音楽と自分だけがいて、それは言語化できない芸術体験なんだと考えています。
音楽を聴くという、それだけの行為ですが、自分の内面にはなくてはならない、いわば私にとっての「生涯を共にする、替えの効かない大切な友人」のようなものです。
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そもそもクラシック音楽というのは、努力と意思のみが技術を磨き支える、近道のないマラソンのような修練を要する芸道ではあるのです。
よく言われる、1万時間の壁を越えた先のそのまた先のそのまた先のそのまた先にほのかに何かが見えたなら、それが天才かもしれないけれどその先は神のみぞ知るという世界ですね。
1万時間の壁についてはこの記事が面白いですので貼っておきます。https://logmi.jp/business/articles/12933
スズキメソードは幼児教育の範疇で語られることも多く、親の負担がとても大きい習い事です。前述のように、クラシック音楽をやるというのはそういうことを呑み込むことでもあるのですが、スズキメソードは特別その意味合いが大きい。
なぜなら、その場に子どもを連れて行ってその場で完結するという類の教室ではないからです。
親は子どものレッスンをよく聞き、先生の意図を正確に理解し、家に帰ってからも子どものやる気を削がないよう工夫しながら、毎日おさらいをして次のレッスンに挑まなければなりません。
先生のおっしゃるには「毎日ご飯を食べるのと同じようにレッスンをしなさい」、ということなので、毎日のレッスン時間は30分以上、年齢にもよりますが理想は2時間が練習時間の目安とされています。
(ちなみに我が家は怠けているので15分ぐらい…うぐぐぐ、プロになろうと思うと1日9時間以上は必要らしいですね)
よって、こういう↓↓アジア的な親になっていくことが、もう不可避なのです。
PRACTICE!
PRACTICE!
DO PRACTICE!!
まさに、タイガーマザーの世界です。
しかしながら、スズキメソードは日本発祥ではあるものの世界中に広がっている教育法でもあります。
アジアだけではなく世界中に広く受け入れられた理由を私なりに理解しようとするならば、スズキメソードは1万時間の壁を早めに射程内に捉えるために、さまざまな工夫をしている点が優れていると思います。
まず楽譜が素晴らしい。スケールやソルフェージュといったどこか単調な基礎練習をやらなくても、スズキの教本に従って1曲ずつ着実にマスターして復習をきちんと行いさえすれば、きちんとした技術が身につくように設計されています。
また、スズキメソードの創始者である鈴木先生が「良い音を出す」ことを重視しているため、多彩な音色を表現するために必要な背筋および体幹をなす姿勢、左手の支持方法や、繊細な運弓を可能にするための右手右腕の使い方をみっちり、諦めずに、とことん指導してくれます。
大人になると10,000時間を捻出することは非常に難しいですが、子どものうちならそれがなんとかどうにかこうにか可能になります。何しろ時間の利がありますから。
冒頭で紹介したような「音楽の魔術的緻密さ」を理解して震えることができる、つまり音楽という気高い友人を得るには、自分自身の音楽経験の上に、鑑賞の経験を積みかさねることが必要なのではないかと考えています。
↑↑この動画でいうと、Level 6 以上であってほしいなあ。
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繰り返しになってしまいますが、私は自分の子どもに、音楽という名の気高く、生涯にわたる友人を得てほしいと願っています。
プロになってほしい訳ではもちろんなく、演奏会で華々しくヴァイオリンを披露することでもなく、難曲を弾きこなすことでもないんですよね。
ときどき「どうして子どもにヴァイオリンを習わせてるの?」と聞かれる時に、自分がやってたからとか、もうすでに使ってきた楽器があるから、とか自分自身の考えがまとまらず、お茶を濁すような回答をしてましたが、初めて自分で動機が言語化できたのでここに残しておきます。
長々とお読みいただき、ありがとうございました。
●東急キッズプログラムの企画がすばらしい、小学生で第九のゲネプロに参加できる●
https://tokyugroup.jp/action/kidsprogram/join/popup_12/course_29/index.html
●スズキメソードの公式はこちら●