職業作家として一つの到達点 林真理子著「愉楽にて」

 林真理子がキャリアをスタートさせたのは1980年代。

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書影

自身が20代のときにバブルが到来したため、最も騒がしく、毎日がお祭りで、世界に向けても日本が強気であったことによる恩恵を存分に享受した世代。

同世代にいるのは、松任谷由実秋元康

 

世間的な評価は、処女作の「ルンルンを買ってお家に帰ろう」がウケて、「不機嫌な果実」でヒットを出したという印象が強いのではないでしょうか。ほかで言えば2000年、彼女が46歳の時からつとめている直木賞の審査員の印象。そして週刊文春やan-anの連載で名前を知っているという人が多いはず。

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書斎の林真理子

ちなみに、私が個人的に彼女を定点観測しはじめたのは2000年代後半のあたりです。

※拙文↓置いておきます

 

kurihashi64.hatenablog.com

 

そのあたりから今に至るまでの彼女の文筆業はというと、ある種の大御所作家への登竜門的位置付けの「源氏物語」の現代語訳作業に従事し出版をなし遂げ、迎えた還暦をにぎにぎしく祝い、NHKの看板である朝ドラ大河ドラマに原作を提供し話題になり、はあちゅうと絡んだり「野心」という切り口で自己啓発をさわったりもしており、まあー抜け目がない。2019年は歌会始にも出席していました。

目がチカチカするぐらいの成功ぶりですよ。

 

また、毎週締め切り(連載)をもつ作家でもありますので、コンスタントに炎上を繰り返しながら、発言力と影響力を維持しています。

政治と経済分野に関してはかなり脇が甘いようですが

 

彼女は自分が誰かに料理されたり、批評や批判を受けたりすることで自分の商売ひいては評判が成り立っていることをよーく分かっていらっしゃるので、意見や発言が炎上したとしても、その後弁解することをよしとしない姿勢を取っています。

 

私は一時期、林真理子がある発言をするまで、著作をコンスタントに買ったり炎上をニラオチしたりブログの題材にする程度には彼女のファンではあったのです。

しかし、その発言があまりに非道で、彼女自身がなんのフォローもせずそれを放置している姿につくづく失望したので、それ以降1円たりとも林真理子のコンテンツにお金を落とさないように努めてきました。ちなみにその発言というのは、川崎のリンチ殺人事件に関して被害者の母親を責めるという胸糞悪いものです....。

 

matome.naver.jp

 

これはおそらく、林真理子林真理子たらしめている所以でもあるのですが、彼女は実生活において女性であり妻であり母親であるものの、どうも頭の中に『男尊女卑思想をもち、功名心が強く、傲岸不遜で前時代的なヘテロ男性』を住まわせているようなんですよね。

ときどきそれが姿をあらわしては、責めても抵抗できないような弱者を注意深く選んで、よく調べもせず言いっ放しの形で暴言を吐き、それを活字にしては悦に入っているのです。

グロテスク、の一言。

 

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前段が長くなりましたが、まあこういう個人的な経緯もあって、林真理子の本が書店に並んでいる時でも、手には取るものの眺めるのみで棚に戻し、買うことを避けるという時期が続いたんです。

それを覆したのが、日経新聞での連載をまとめた書籍「愉楽にて」です。

 

たいして話題にもなってなかったのでスルーするつもりだったんですが、ちらっと数ページ立ち読みしたのち、たちまちググッと掴まれてしまいました。

 「これは、久々に本気で書いてる!」「林真理子が、今の時代と寝て、自分の経験と練り合わせて熟成させ、ギリギリまで研ぎ澄ませて読者に差しだしてきた!」というのが(一時期ファンだった直感で)わかったからです。

 

買うかどうか3度ほど悩み、買うにしても電子書籍にするか紙を買うかでさらに迷い、最終的に1ヵ月ぐらい煩悶した末にAmazonで単行本を買うことにしました。

 

読み通した結論、本の値段1800円だけの価値はありました。

www.nikkei.com

際立っている点は以下の3つです。 

 

 ①オフライン情報の集積

インターネットが普及しきった2000年代以降、私たちはしばしば「どんな情報もネットで拾える」と思い込んでしまいます。ところが、絶対にデジタルにならない類の情報というのはあるんですよね。

極度にローカルな情報(ご近所話)、特定の個人に利益をもたらす情報(儲け話)などもそうですが、最たるものがエスタブリッシュなお金持ちの情報だと思っています。

 

日本の上位1000人ぐらいの資産家。

確かに日本にいることはいるらしいけれど、まったく違う世界に住んでいる人たちです。 彼らは生育の過程で用心深くなるよう躾けられ、また幾重にも守られている場合が多いので、わざわざネットの雑多な情報にふれる必要も動機もないのだと推測します。

彼らのコミュニケーション半径は気心知れた、生育環境の似た仲間で占められていますが、そこに時おり時代の寵児や飛び抜けた才能をもった人が輪に連なることになります。

いくつかの通過儀礼を辛抱強く耐えた人だけがこの集団に入ることを許されるのですが、おそらく我らが真理子女史は潜入に成功したのでしょう。時代と国が異なれば、きっと非凡なヒューミントを繰り出すスパイになったに違いありません。

 

なぜなら、この本のお金持ちのディティール描写が尋常じゃないくらい真実味があるからです。 

 

実際のこのレベルのお金持ちが知己にいるわけではないので全くの私見ですが、特に芸妓の旦那になる儀礼じみたエピソードと、シンガポールの金持ちの倦怠のくだりは圧巻でした。

林真理子は職業作家として決して暇な類ではないので、絶対に、質の良い情報源がいないとここまで踏み込んで書けないはずです。

 

 ②質の高い情報提供者

確たる情報提供者がいなければ書けない、という凝ったディティール。

もちろん林真理子自身か編集者が書籍化にあたってある程度裏どりをしているでしょうし、筆力で読ませている側面もあるとは思いますが、そもそもどのようにしてネタを仕入れたのでしょうか。

 

林真理子は人前に出ることを恐れず、教養や社交に身銭を切ってきた人物です。

私の想像にすぎませんが、地道に、彼女の足で稼いだネタだと思います。

 

出会った人たちと酒席を囲むのもフィールドワークの一環でしょう。

 知的な会話をかわし、ワインをあけ、いい気分になったところでふと訪れる沈黙。

言葉の端々に漏れいづる自意識をうまく掬って、ターゲットに語り出させたらそこからは腕の見せ所。耳をそばだてて、相手にここちよい相槌をうち「この女性作家に自分の武勇伝を聞かせてみたい」と思わせなければミッションを達成できません。

 

細心の注意を払いながら、時にはやさしく、時にはくだけてざっくばらんに話の接ぎ穂に骨折りつつ話を引き出したことだと思います。

この辺りは著書「アッコちゃんの時代」の中で、インタビュアーとして林真理子自身に仮託したと思われる人物を登場させており、その描写を想像しました。

 

いざ著作が発表された後も「あのときあの場所で彼女に言ったことを、彼女は著作の中でこう料理したのか」と情報提供者に面白がってもらうぐらいでないと、次がありません。作家人生が長いということは、こういうことを抜け目なくケアし続け、不興を買っていないということの裏返し、つまり確かさでもあるわけです。

 

こうして地道に収集した断片的な情報を繋げて一枚の絵にするのが、林真理子作品の凄み

今回の「愉楽にて」は特に際立ってすごい。

 

そういう意味で「東京カレンダー」の世界観は、林真理子の下位互換に過ぎないといえるのかもしれません。

 

 ③教養という力技

一応ながら主人公の2人の設定が、宇治十帖よろしく女には不足しない貴公子(ただし中年)となっています。そのモテの裏付けとなるのはもちろん経済力に起因するわけですが、しかも自分で使える時間の自由度が高いというのも重要なポイント。

 

本書における教養パートは、主人公のうちの1人である書痴属性の久坂が担っています。それぞれでカバーされているのは、オペラ、茶道、歌舞伎、能といった芸術分野のほか、東西の古典文学や漢詩も幅広く網羅されながらクオリティを保っていてさすが!の出来。勉強になります。

※この並びに管弦楽とスピーカー、アート、車が入っていないのは単に真理子センセの趣味の偏りによるものでしょう

 

特にそれぞれの芸能を支えるパトロンや愛好者の特徴を捉えて分類して描く様子が冴えていて、膨らませたらこれだけで短編がいくつかできそう。

 オペラ開演前の喧騒の中で仲間内の辛辣なジョーク、家元の許しをえて財界人として茶室びらきする際のお膳立て、自席まで挨拶にでむく夫人をいなすご贔屓筋、能の客筋の良さはおそらく日本一であると顔ぶれと着物の格で判断する等、ざわつく名エピソードがざっくざく飛び出してきます。た、の、し、い!

 

昨今地味に流行っている「教養としての〇〇」(〇〇にはそれぞれワイン、美術、クラシック音楽などが連なります)関連本なんて、軽ーく私がフィクションに仕立てて披露してあげるわよという真理子先生の心の声が響いてくるようです。

 

また、仕上がったお金持ちの三大関心(と勝手に私が名付けた)「健康」「節税/相続」「名誉」も漏れなく押さえておくのも忘れません。

お金持ち老人の繰り言を描写するのもあまりにもリアリティの極限に迫ってて、読んでるこっちが息がつまりそう...笑

40代あたりで自分のキャリアを有吉佐和子方面に振るのを諦めた感のある真理子センセですが、いやいやこの線でも十分戦って稼いでいけるのではないかと思う。

それを読む読者はどこのだれなんだと言う問題は残されますけどね。

 

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と言うわけで、定価1,800円分(本体)の価値は十分にある読書体験でした。

 

いくら林真理子の放言に呆れても、絶対に、絶対に、古書店やメルカリで買うなよ!

古書で買っても著作権者である真理子センセには一銭も入らないからね!

買うなよ!買うなよ!絶対に買うな!

 

 

というお決まりのダチョウ倶楽部ジョークで締めたいと思います。

おっと、図書館で借りるのも絶対にダメだぞ?

 

<最後に>

お受験と教育については、あえて真理子センセが書くのを控えている分野なのですが、そのうち匿名でもいいから書いて欲しいなあと思います。

ドロドロして面白いと思うんだよなあ。