アメリカにおけるマジックリアリズムの巨匠、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」。私がこの絵に出会ったのはたぶん高校の美術の授業の副読本で、なぜか目には留まったけれど、以来20年記憶の奥底に引っ込んでしまいこれまで思いださなかった絵です。女性が横座りで家を眺めているのを背中からとらえる、いっぷう変わった美人画なのかな?と当時は思っていました。不思議な魅力のある絵で、ページをめくっているとなぜかいつもこの絵の載ってるページで手が止まり、タッチや構図や色使いをじっと見つめてしまうのでした。
話は飛びますが、このたび病をえて17日間ほど入院しました。出産以外でははじめての大きな病気ですし、コロナ禍での入院は後で見返すともろもろ面白そうな気もしますので、備忘録的に少し自分の記録をブログに残しておこうと思います。
ちなみに、病気の原因は特定の薬を服用していたことであって、遺伝的なものや基礎疾患があるわけではありません。コロナ禍の運動不足とBMI高めであったことは影響大きいとは思いますが…
さらに今回のケースは医薬品医療機器総合機構における副作用救済の対象ケースになりそうではあるものの、これは申請および9ヶ月ほどの審議を経るそうなので来年あたり別のエントリで残そうと思います。
ではざっと時系列で追っていきます。
入院-9日(2021/5/1土曜日):ゴールデンウィークで浮かれ気味。自宅の近くをウォーキングをしていて首と頭が軽く痛いことを自覚。なんだろうと思いつつ放置。
入院-4日(2021/5/6木曜日):月火水と祝日明けの木曜、子どもが熱風邪で学校休む。自分が頭痛いのも子どもの風邪もらったのかなぁ?と自己判断して子どもの看病する。
入院-3日(2021/5/7金曜日):頭痛とともに、吐き戻してしまう。仕事で立ち合いがあり電車に乗るが今までの経験がないほど辛い。吐き気で食事をとれず、本当に子どもからうつった風邪なのか?と疑い始める。子どもの風邪はすでになんとなく直っている。
入院-2日(2021/5/8土曜日):ウィダーインゼリー的なものしか胃が受け付けなくなる。自分でセッティングした会食があり徒歩15分ほどのところに出かけるが食事はほんの少ししかとれず帰り道にすべて吐き戻してしまい視界もゆらぎまっすぐ歩けないので「まずいこれはなんか悪いやつだ、でも土曜だし救急しか空いてないしどこ運ばれるか分からないぐらいなら寝て月曜を待つしかない」と寝る。痛みで満足に寝れない。
入院-1日(2021/5/9日曜日):胃に何か入れるのは諦める。水でも吐いてしまうが、ウィダーインゼリー的なのを少しずつ口に含む。近所の評判の良い頭痛クリニックを探すがのちに夫に検索され直す。痛みで満足に寝れない。
入院初日(2021/5/10月曜日):歩くのがおぼつかないので夫に付き添ってもらい近所の頭痛クリニック「自由が丘 神経科頭痛めまいクリニック」へ。
https://iwama-clinic.com/doctor.html
院長の岩間先生が CT撮ってから診察し、問診の中で服用している薬を確認。
「紹介状かくので大きい病院行きましょう、僕の後輩がやってます。何もなければ笑い話ですよ。今から行けますか?」とおっしゃるので、これはまずいやつか?と思いつつタクシーでNTT関東病院へ。後で思いかえせばこの診断がすごくすごく重要だったし、岩間先生はこの段階でわざわざ脳外科の先生に電話してくれてたそう(あとで脳外科の先生が回診してるときに教えてくれた)。
昼過ぎにタクシーでNTT関東病院に着いた時点ですこしの勾配の坂を自分の足でのほるのが信じられないくらいしんどい。外来の待合室から、診察にはいり色々聞かれる。カテーテル入れて造影剤での観察するので同意書書きましょう、と若手の男性医師に言われて書いたあとから、車椅子に乗せられる。なんか慌ただしくなってきて、CTのあとMRIも撮るが頭痛すぎてあまり考えられない、いつのまにか着替えて点滴のルートも入り、移動もストレッチャーに。鼻から綿棒突っ込まれたあれはCOVIDの抗原検査のためだったのか…
18時くらい?に手術室らしきところに運ばれ、局所麻酔で足の付け根からカテーテル入れられる。意識はあり、撮影したり会話しながら何やら進んでのは分かる。造影剤いれてからは、頭の中が熱くなったり瞼の裏側にオーロラや雷があらわれてさながらスペクタクル。頭は痛い、なんか眠い。そりゃ数日眠れてないんだからそうなるか。その後「観察から処置していきますね」と医師が変わりなんか作業してくれて「こんなにたくさんとれましたよ」とおしぼり大のタオルにびっしりと乗っかった赤い糸みたいな血栓を見せてもらう。
※あとからこの時見せてもらった血栓はほんの一部で「キレイにとれたやつだけ並べてたので、トータルではもっと量ありましたよ」と主治医に聞かされた
カテーテルを抜き、足の付け根を圧迫しながら「ここでねー血が出ちゃうと大変なことになるから強めに圧迫します」と男性医師が体重のっけて圧迫して10分ほど止血される。単価の高い医師を拘束して止血だけやってもらうの心苦しいな…でもここで止血に失敗したら血の海なんだろうな…とまわらぬ頭で考える。
※後から見たらこの止血時のアザが試合後のボクサーの顔みたいになってて二度見。でもこんだけの力で止血するぶっとい血管なんだと実感した
その後はHCU(HighCareUnit)へ。
この日、夫は病院と家を3往復し、着替えや入院グッズをとりに、仕事用PCをとりに、子供達を乗せてと移動し続けて、とうとう最後に医師に「子ども連れて帰ってご飯食べさせないと行けないので帰ります、この場にいる必要ないと思いますが判断あれば電話してください」と言い置いて勇退しようとしたらしいが、未遂に終わる。結局21時頃まで子どもたちと控室らしきところにいたのだそうな。
入院2日目(2021/5/11火曜日):HCUのベッドが高機能で、血栓が詰まらないよう常に締め付けを定期的に行えるシートみたいなのと一体化のやつだったことと、看護師さんがこの上なく優しくお世話してくれたのは覚えてる。リハビリ担当の方が来たので支えられながら歩いてみたが、20歩ぐらいしか歩けなくて我ながらビビる。こんなときに生理がくる。
入院3日目(2021/5/12水曜日):一般病棟にうつる。個室しか空いてなかったらしいが、点滴がよくピーピーなるので周りの人に迷惑かからなくて良かったなと思う。コロナ禍なので面会禁止。携帯をみる元気はない。トイレしんどいがそれ以上に点滴の台をコロコロ持ってくのがみじめ。
入院前から口からものをマトモに摂取できてないせいか、舌が真っ白ガビガビでところどころ切れており気づいた看護師さんが医師に申し送りしてくれた。
▼個室の孤独、点滴人間
入院4日目(2021/5/13木曜日):携帯のslackアプリがようやく精神的に開ける状態になったので会社に連絡。夫はそれより前に私の同僚づてで上司の連絡先に一報いれてくれたらしい。夫にだいぶ負担かけてることが気になってきてFacebookでも共通の友人に状況報告。
操作してて携帯の画面が見づらいし視界も異なるので、主治医の回診時に両目のピントが合わないし歩く時に見え方が狭くて暗いので辛いと訴え続けて眼科へかからせてもらうことに。まだまだ点滴人間。作業療法と言語聴覚のリハビリはじまる。
頭痛くて昼夜ろくに寝れない。「今夜も拷問」ととち狂ったメッセージを夫に送っているのもこの頃。
この間夫は保育園懇親会や朝晩の保育園送迎、子供たちと土日のお出かけなど含めたワンオペ育児と毎日の子どもの勉強をみて励まし叱り飛ばし、家事は買い物から食事づくりと洗濯掃除などをこなした上で自分の仕事を淡々とこなしていた。
この入院期間中を通じて夫の実家に頼らずに済んだのは、もちろんひとえに夫の強い覚悟と夫の献身によるものだ。ペースを掴む最初の3日ぐらいは精神的に相当削られたらしい。だがなんとか切り回せた背景には、夫曰くコロナ禍によるリモートワーク体制および裁量労働制であったことと、そして夫の職場の理解も大きいかったんだそうだ。あとは正直な話「コロナ禍で全面的に面会禁止なので、病院にちょこちょこ出向かずにすみ、結果的にリソースの逼迫が抑えられた」とのこと。
夫よ神か。
入院6日目(2021/5/15土曜日):面会が全面禁止で驚くほどしずかな病院。孫悟空の輪っかばりの頭の痛みと、寂しさでひとり個室で号泣。昼食を下げにきてくれた職員の方がその様子を気にかけてくれたのか、「朝がたに辛いのなら脳圧高いんじゃないか」と回診にきたラフな格好のベテラン先生(たぶん医長先生?)に言われてそれ系の措置を開始。このあたりヒロイックな悪夢をよくみる。立ち上がるのしんど。
食事を噛むのがつらく量がなかなか増えない、栄養士さんがいろいろ尋ねて提案くれる。病棟付きではない診療看護師の方が、利き手かつ折れるところに点滴のルートが入ってるのを見かねて対処してくれた(利き手じゃないほうの手首に点滴を付け替えてくれた)。寝る時に不自由だったり左手で箸持ってたりしたのでQOL爆あがる。
入院8日目(2021/5/17月曜日):頭の位置を高くしてる方が辛くないよ、といわれたのでベッドの角度を30度くらいにする。山肌にしがみついてるみたいで体勢が辛いが前々日よりなんぼかましで2-3時間まとめて寝られる。リハビリの一環で受けたテストで2桁の割り算の筆算ができなくて落ち込む。脳障害ではなく小3の算数ができないだけ、帰ったら息子に教えを乞おう。退院は来週か?
入院9日目(2021/5/18火曜日):個室から大部屋に移動、引き続き点滴人間。こんだけ食べてないのに体重たいして減ってない、点滴すごい。
夫に本差し入れてもらう、夫の顔見るだけで泣く。本はまだそんなに読めない。効かないロキソニンに殺意を抱く。家族とビデオ通話すると精神のささくれがやわらぐ。
▼大部屋のカーテン
入院11日目(2021/5/20木曜日):ベルセルクの三浦健太郎先生が大動脈解離で亡くなったニュースをみて、我が身の健康を振り返る。
入院中同室の皆さんと少し話す、皆さんは脳外科で手術してるけど私は脳血管内科。
https://www.nmct.ntt-east.co.jp/divisions/cerebrovascular/
カテーテル処置を経て血液がサラサラになるお薬ワーファリン飲んでまいにち採血で血管の数値見てくれてギリギリまで薬の量攻めるのが今の治療スタイル。
同室の皆さんとの会話の中から、脳外科の開頭手術って全身麻酔なんだ…とか抜糸やるのねとか、予定入院だといろいろ準備したりあらかじめ入院日の交渉できるんだなともろもろ学習するなど。
MRIの結果が前回と比べてそれほど良くない。体力落ちてるので筋トレや体のバランスの取り方などをリハビリで継続的にご指導いただく。ありがたし。
病院内の医師看護師などみなさんはすでにCOVIDのワクチン接種2回受けて2週間たってるそうで、すばらしきかな、コロナにかかる心配のない世界。いつ一般の人は受けられるのかしら。テレビも見ないので、今現在、緊急事態宣言が出てるのかどうかさえわからなくなる。
ずっーっと耳のそばで音がするのがなんでなのかと思ったら、水道の原理と同じで血液の流れる音なんだそうだ。入院中音楽に救われることが多いけど、オペラのアリア、特にオンブラマイフや私を泣かせてくださいなどのヘンデルが響くのはなんでなんだろう。謎。人の声はよいなあ。
入院12日目(2021/5/21金曜日):平日は検査とリハビリで日中なかなか忙しい。つっても3コマぐらいがせいぜいだけど。夫が私の会社の共済会から、郵送で高額医療費の限度額認定証を取り寄せてくれていて事務スキルの高さに瞠目。GJ
ピルのんでたのと子宮筋腫っぽい影がCTにうつっていたとのことで、退院したらかかりつけの婦人科に行くようアドバイスをうける。(退院後、かかりつけ医に診てもらって筋腫じゃない診断になりましたひと安心)
痛みはバラつきあるけど、毎日少しずつ減っている。おやつ初めて食べられる。
▼22日金曜日の夕日
入院13日目(2021/5/22土曜日):Iijmioのデータプランが上限に達して速度制限かかるぐぬぬ。デジタルは目にも辛いので紙の本でも読むか。目が影響でてるので、自分の脳機能に異常が出てないかどうかも読書を通じて確認したい。
コロナ禍による面会禁止の土日は院内が静か。点滴が一時的に外れてQOL上がることこの上なし。
▼読んだ本と途中まで読んだ本
・角田光代の源氏物語は中だけ完読。質の高い現代語で紫式部のシナリオに集中できた。訳も原作も傑作。若菜の巻がすばらしい。光る君が1人の人間として捉えられたはじめての体験。
・入江敦彦さんの著書はわたしにとっての旅と京都のインスピレーション。京都弁が雄弁な2冊「京都でお買いもん」「京都喰らい」、マリーフランスと草喰なかひがしに行きくなって楽しく妄想する。弱輩ながらいつかは「おあつらえ」したい。
・オードリー若林の紀行本と思ったらセンチメンタルな親子関係を綴ったパートがあって泣く。40過ぎて自分で学ぶ人、あちこちオードリーで個人的に再ブームがきてたけどもっと好きになった。
入院15日目(2021/5/24月曜日):入院初日から2度目のカテーテル観察。色々初回とは感じ方が違う。手術室に運ばれる時ってドキドキするのね。
観察の結果、悪くなってはないが良くもなってない箇所があるそうで、退院して外来に通院しながら継続的にお薬で脳の血栓を溶かし続ける治療を選択することに。私の主治医は20代の聡明で患者の話をとことん聞いてくれる、笑顔のすてきな女性です。しゅき。
手術室から出た後は、足の付け根を止血するためベッド上絶対安静4時間。造影剤で頭痛くなって夕方に吐き戻すが、翌朝までにはもちなおした。
入院16日目(2021/5/25火曜日):退院まであと1日、今回の入院をへて1日の摂取カロリー1,600kcalってこんなに少ないんだと実感を得る。同室の方と名残惜しくおしゃべり。会計の方が部屋に金額もってきてくれたけど、目玉が飛び出る。高額医療費の限度額適用認定の手続きやっておいて良かったぜ…
その後、入院17日目5/26水曜日にして無事に退院。
やっておいて良かったこと▼
Vライン含む脱毛、歯の治療
やっておけば良かったこと▼
日頃から視力を測ること、度数のあったメガネ、美麗な文字で手紙を書くこと、夫に会社の連絡先を渡しておくこと(自分の名刺には自分の会社ケータイ番号しか載ってない昨今なので…)、運動しておくこと
<最後に>
冒頭の絵「クリスティーナの世界(1948)」のモデルは、画家であるワイエス夫妻の別荘の近所に住んでいたアンナ・クリスティーナ・オルソン。この絵に描かれた当時は55歳で、すでに下肢まひになっており、ある日草原を這って渡っていく彼女を見たワイエスが心を打たれ、その姿を永久にカンバスに残したい衝動に駆られたことがきっかけで生まれた作品だといいます。
高校生の私は彼女のストーリーを知らずに美人画の一種だと思ってみていましたが、原田マハさんの小説で彼女の名前がクリスティーナで、ポーズをとって横たわっているのではなく、不自由な下半身を引きずって力強く前を見すえ自分の家に向かって這って進む姿なのだと知ります。
モダン (文春文庫 は 40-3) https://www.amazon.co.jp/dp/4167910462/ref=cm_sw_r_cp_api_glt_i_1XH663ZG9D0MZJSA5VS0
私にとっての病の体験は、まさにこの絵と重なるもので、表面しか見ていなかった体をストーリーを通じて実体的に手に入れたというか、ありがたみや苦しみを通じて能動的に自分とともにあることを認めることになったという意味でおなじものです。
血栓が溶けきってないので頭もまだ痛く体力もがくんと落ち、目や耳や右手の感覚もとても元通りとは今の段階ではいえませんが、まだまだお世話になるこの体。機嫌よく、制限の中でも折り合いをつけながら、付き合っていきたいですね。
改めて、夫に心より感謝を捧げます。いつか有事には同じかそれ以上に尽くしたいし、何もなくてもずっと一緒にいてくれてありがとう。
▼夫作成の退院ディナーでめでたく完落ち